かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

言葉じゃ足りないこと

 

もはやVRChatはいいぞ、とか〇〇で変わった等の記事は書く気がない。
たぶん読んでる人も面白くないんじゃないだろうか。
VRChatという界隈の人間にとっては頷ける内容かもしれない。
けど、知らない人から見ればやっぱり知らない世界ってだけだ。

 

自分の体験も最初は貴重というか、参考になる意見だろうと思って書いた。
けど、VRChat人口も増えて漫画なんかもTwitterで出回っている。
やりたければQuest2を買ってプレイすればいい。値段は4万円を切っている。
十分普及しているとも言える。体験の値段も相対的に安くなった。

 

なので改めて自分の意見なんかを書く必要がなくなった。
PS5に感動したって書くのとあまり変わらない。

 

ゲームハードに対しての感動レビューとかあまり必要ないだろう。
画質がいいとかコントローラーのフィードバックがいいとか、そういうのばかりだ。
実際やってみないとわからないことだし、いくつも書かれることだ。
自分にとって特別で、特殊な体験はもうほどんどない気がする。

 

いくつか面白いイベントなんかはある。選挙活動にくるとかこないとか、同人イベントがどうとか、車とバイクのイベントがあったり、有名人が来たとか同窓会が発生したとか。

けどそれはVRChatやVRの体験が面白いのではない。単にそのイベントが特殊で面白いだけだ。現実でスカイダイビングを体験したとかライブ行ったみたいな話とあまり変わらないのではないか。

 

別に熱が冷めたわけじゃない。VRChatは今でも大好きだし、いいものだと思っている。
けど他の人に改めて伝える意味がなくなったように思う。
自分の中ではVRは普遍的なものだし、特別な技術じゃなくなった。
これから先も発展するだろうし、そこに新しい創作なんかも生まれるだろう。

 

最初にブログなんかでVRChatについて熱く語ってたのは、それが先進的だったから。
二次元の世界がついにやってきた、黒船みたいに感じたからだ。
人類のまったく未知の世界というやつに金を出せば入り浸れる、それがすごいと思ったから。

けど、3年くらい?経ってみて、その熱は全然世間には伝わってないことがわかった。
これから先ももっと時間がかかるだろう。世界が変わるにはまだまだ時間が必要だ。

 

 

それにVRはすごくない、所詮ゲーム、人ばかり、問題…そういったものもだんだんわかってきた。だからブログにいくら書いても響かない、意味がない。もっとなにか別な方法だったり、自分の伝え方やなにがしたかったのかを考えなきゃいけなくなった。

VRの体験はきっと言葉じゃ足りない。漫画で描いている人は、面白いコンテンツとして拡散していく。アバターモデルは驚きを与え、様々な技術のデモ動画に使われたりして妙な注目を集めたりする。

ちょっと違うやり方で、少しずつ違う視点を見るものができないといけないんだろう。
曖昧な書き方をしているけど、結局のところ文章以外にもなにか伝えられるような人間になって、VRで感じたものを表現できないか。VRらしい表現とかを探してみたいなと思っている。