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かやのみ日記帳

読書の感想や思想を毎日書いています!

映画「ちょっと今から仕事やめてくる」感想。小説版よりもスケールが上がり、ラストも大満足!たくさん泣きました。

  • ついに見てきました、映画版「ちょっと今から仕事やめてくる」
  • 小説版との違いは?
  • 超怖い、異常に気合の入ったブラック企業描写
  • そのシーン見たかった!と思わせる場面があって素晴らしい
  • ヤマモトの設定改変がもたらした変化は思っていたよりも大きい
  • ラストシーンのバヌアツ共和国の演出と深いメッセージ
  • 不満点
  • おわりに

 

ついに見てきました、映画版「ちょっと今から仕事やめてくる」

kayanomi.hatenablog.com

ブログの記事も書いたので公開初日に劇場に行って見てきました。泣いちゃうかな~と覚悟してましたが、めっちゃ号泣でした。3回か4回は涙が自然と出てきて大変でした。涙が止まらなくて…。映画館でも多くの人が涙してたのがわかりました。見て本当によかったな…という気持ちでいっぱいです。

 

事前に小説を熟読していましたが、映画を本当に楽しめました。初見でも十分楽しめますし、小説を読んでおくと2倍、3倍おいしい作りになっているのでご安心ください!トーリーの筋を知ってるから…と言って油断してるとボロボロ泣きます。油断してなくても自然と泣きます。そんな映画でした。

 

※以下から大量の文章による感想、小説版との比較、ネタバレ満載になっております。映画版視聴前の人はご注意ください。(6000文字程度あります…)

 

 

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ツレがうつになりまして。は映画版も文庫版もよい!かなり前向きな本。

 

「うつ」ってなんだろうか?

最近「死ぬ辞め」、「うつ抜け」、「ちょっと今から会社辞めてくる」など社会的に日本人の労働とか精神衛生について話題になっている。電通の事件もあったし世間の関心は非常に高くなっている気がする。先日もニュースで企業への平均残業時間の提出を検討しているらしいし、意外と身近になってしまっているうつ病への理解が広がっていくのではないか。

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

 

 「ツレがうつになりまして」は表紙から非常にゆるキャラチックな漫画っぽいエッセイみたいな本だ。誰でも気軽に読み始められるようなポップな感じが出ている。この本は「ツレ」=夫を妻からの視点で見た観察日記のようなものだ。基本的に著者目線で書かれるのだけれど、かなりポジティブというか…あまり深刻さを感じないように振舞っているように見える。その姿勢が読む側に対して暗さ、湿っぽさを過剰に感じさせない効果を生み出している。

 

だいたい100ページくらいの薄い本で、ほんとにあっという間に読み切れてしまうのだけれども、そこに籠められた想いが大きい。その想いをきちんと受け止めるには何度も読み返さなければならないほどだ。

 

「ツレ」が勤めていた会社がだんだんと業績が傾き、人員が削減された結果として膨大な作業を一人でこなさなければならなくなってしまう。身体にも精神にも異常が出始める。ごはんが食べれない、朝異常なほど怯えて寝付けもしない状態なのに出勤時間になった瞬間に表情が切り替わり出社していく…。

 

最初の内は「元気がないだけ」「やる気がない」「邪魔」としていたが、だんだんと異常性に気づき病院にかかったときには既に末期のような状態になってしまっていた。そんな感じで物語はスタートする。

 

だいたいは「ツレ」がうつになった時、どういう行動が見られたのか、そしてどういう態度をとったのか…というのがわかる。例えばツレは布団に包まりずっと寝ていることが多くなった。これをこっそり「眠り王子」と呼んだり、しくしくと布団に包まり泣いてる姿を「カメ布団」と名付けてしまったり…。ともかく「うつ」に著者が引きずられていない姿がどこか印象的だ。

 

もともと著者はネガティブで暗い性格で、反対に「ツレ」が丁寧、はきはき、決まり事をきっちり守る真面目さ、ポジティブという凸凹コンビだったらしいが、「うつ」がきっかけで役割がすっかりと変化してしまったらしい。

 

ちょっとずつ「ツレ」自身が自身の病を受け入れていくプロセスも書かれていて素晴らしい。物語の後半では「自分はちょっと調子が悪いくらいがちょうどいいんだ…」と告白している。いつも調子がよくなければいけないと思い込んでいたが、そうではなかった。自分が怠けている、自分の夢を全然叶えられていない…そういった責める気持ちをいくつも背負ってしまっていたのだ。でも自分は病気を完璧に治さなくていいんだと言っている。自分の欠点、もしくはちょっとした特性をそのまま受け入れられるようになったということは大きいと思う。

 

映画版もとても感動的

実は映画版もあってそちらもとてもオススメだ。主演が宮﨑あおい、堺雅人という豪華キャストである。だいたい本と同じストーリーなのだけれども、ディティールがものすごーく細かい!そこが一番の見どころと言っていい。堺雅人「うつ」の演技がとんでもないほどに上手いのだ!

 

冒頭で深刻なうつ状態の時、会社の電話のクレームに対して自分の名前が間違っているんですよ…と暗く…ゆっくりと…生気のない表情で亡霊のように喋る姿は本当に「コイツヤバイ」と一発で思わせる演技だ。

 

うつで寝込んでいる最中の弱気、泣き演技も素晴らしい。「苦しいよ~つらいよ~」といいながらシクシク泣く演技がこれまた上手い!見ているこちらを苛立たせないような、それでも湿った情けないおじさんの声がしくしくしくしく…と小さくほそーく響く様が…とっても名演だと思う。

 

一度深刻な場面がある。とてもつらいシーンなのだが、たまたま原稿が上手くいっていない時に「ツレ」に対して厳しい態度をとってしまう。その後にお風呂場で死のうとしている「ツレ」を発見する。大丈夫かと詰め寄ってみるとか細く謝る声が聞こえる。「僕はもう必要とされていないんだと思って…」そういって泣いてしまうんだけど、それを聞いて「ごめん本当にごめん」と泣きながら謝って二人とも傷ついて泣き合う。このシーンは本当に見てるのがつらくて何度見てもこちらも涙が出てくる。病にかかった人と寄り添う難しさと、それでも寄り添って支え合って生きていこうとする素晴らしい夫婦の絆、両方が名演によって引き立てられていると思う。

 

書籍にも書籍の魅力があるし、映画版は映画版にしかない、細々とした感情に力強く訴えかけてくるパワーに満ち溢れている。どちらも非常に素晴らしい。

 

おわりに

この本は優しい本だ。著者も実はこちらに気を使って書いている部分があったのかもしれない。ツレ自身も著者に対して感謝の言葉を書いている。書籍のほうでは「ツレ」のエッセイも何個か短く入っているのだけれども、その中で最も印象的だったのが下の引用だ。

(中略)

ボクたちは一年前は欠席したので、二年ぶりの参加だった。(中略)

相棒の番になって彼女が立った。

「結婚式の時に読み上げた『制約』を、また読み上げて胸にこみあげてくるものがありました。それは、『順境の時も逆境の時も、病気の時も健康の時も』というところです。去年は彼が病気で…」

 そこまで言って、彼女は嗚咽で先がつづけられなくなった。

 

ツレがうつになりまして。 P99 ツレのつぶやき 7 結婚10年目の同窓会

この後に「ツレ」は彼女がきっと自分の痛みを親身に感じて、そして支えてくれたことに気づいて自分も胸がいっぱいになったと続けている。

彼女の本文中には出てこない、本当につらかっただろう部分が「ツレ」目線でようやく出てくるのだ。それまで読者の視点からはかなりポジティブで困った姿、弱い姿なんてちっともなかったのに。けれどやっぱりつらいものはつらい。それでもこの話をきちんととりあげて、そのうえで「ツレ」が彼女に対して「ありがとう」と言っている。この話を読むだけでも相当読者の立場としても、著者は強い人なんだと勘違いしていたことに申し訳ない気持ちと何か胸にこみあげてくるものがある。その場面にきっといたらつられて泣いてしまいそうだ。だって本を読むだけでこれだけ心に響いてくるのだから。

 

この本は優しさにあふれている。こういった本と出会って読んでいくと少し心が穏やかになる。いくつか笑いもあって、その中に涙があって。そのうえで前向きに生きていくことを決めた二人の姿にどこか励まされる。ただの体験談やエッセイとしてではなく、日々がいささか生きづらいなと感じている人にもきっと安らぎになるはずだ。

 

 

 

大変に運が悪いときは自分の部屋の掃除をしなきゃ…と思ってます

 

運が悪いときは部屋の掃除をしよう

今日は大変に運が悪く、わりと悲劇的なことがたくさん起こってしまった。どうしてこんなことになってしまったんだろうかと自省している最中である。とはいえある程度原因はわかっている。先日書いたライフイベントのストレスチェックからも自分の精神状態はあまりよくはなかった。それに加え精神状態が悪いため部屋の掃除を怠っていたのだ。

 

普段はあまりズボラなわけでもなく、もともと整理整頓が好きな人間ではあるのだが忙しいとか調子が出ない時はあちこちに物が散乱してしまう。そして何か悪い兆候が出始めたころに大慌てで掃除するようになる。あたかも虫歯になってから歯医者に行くように、部屋が十分に汚くなってしまい乱雑になってから大掃除となってしまう。

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昔からお部屋の掃除は運気だとか風水だとかなんとか…怪しいことは怪しいのだけれど一応調べてみた。すると自分の心にぐさぐさと刺さる意外な言葉が見つかってしまった。

「仕事に自信がなく、稼げない人ほど、部屋に物を溜め込む傾向がある」と話すのは、空間心理カウンセラーの伊藤勇司氏。

「空間心理学では、住んでいる部屋の状態に自分が現在抱えている内面の問題が反映されていると考えます」

「自宅が汚い人は仕事ができない」は本当だった――空間心理学の結論! | ハーバービジネスオンライン

ということで、ニワトリと卵問題のように部屋が汚いから運気が下がるのか、それとも運気が下がっているから部屋が汚くなるのか。どちらにせよ自分の心にいささか問題が発生してしまう環境になってしまう。だからこそなるべく部屋を清潔に保つこと、そして自分の心の健康もいっしょになって整理整頓しようという心構えが大切かもしれない。

 

部屋をきれいに保ち、自分の心や体の調子を整えようというポジティブな心を保ち続ければ部屋もきれいなままのはずだが、どこかしら面倒くさいとか、ストレスがたまり疲れが取れないといった体調になってくると部屋が汚くなっていくのだろう。

 

先日は自分の隠れたストレスチェックとしてライフイベントを測るといった方法を書いたのだが、今現在の運勢や精神状態を視覚的にみるには自分の部屋の清潔度を見たほうがいいかもしれない。

 

部屋の掃除について「まだきれいだ」とか「いつかやるつもりなんだ」、「いちいちとるのが面倒…」と考えていると他の物事にもいささか思考が漏れてしまうのかもしれない。その気持ちのゆるみこそが運の悪さの正体なのかもしれない。

 

おわりに

今の人生を後悔していたり、もっとすごいことがしたいとか、夢を叶えたいと思ってもなかなか一歩踏み出せなかったり続かなかったりするけれど、大切な一歩というのはこういった部屋の掃除をきちんとするといった小さなことから確実にやることが大事かもしれない。

 

今現在の自分がうまくいってないなというときの原因を詳しく見ようとしても、どれがきっかけだったのかは絶対わからないだろう。物事が悪くなるきっかけというのは明確にわからず、ただ致命的なイベントが発生して初めて原因調査をする。そうするといくつもの悪い要因がもやもやと曖昧に重なって起きていることが多い。

 

どれもが致命的に悪いわけではなく、頻繁に夜遅くまで起きていて朝眠くてイライラするとか。そのイライラのせいでミスが増えてしまい、甘いものをとりすぎてしまったりする。甘い物を食べすぎたせいで体調が崩れてしまい、精神もそれに引きずられネガティブな気持ちとイライラが募って…と連鎖して深みにはまっていく。

 

こういった負の連鎖を断ち切る最初の一歩は大変につらく地味なことに見えてしまう。部屋の掃除をきちんとするというのはかなり庶民的ではあるけれども、それでもちゃんと掃除したという気持ちが自分の心をいささかプラスの気持ちにしてくれるはずだ。面倒だと思わずに自分の心の健康のために自発的に活動し、達成したという気持ちを持つことで少し緩んだ気持ちの引き締めにつながっていくのではないだろうか。

 

まあこの文章は自分への自戒だ。いつもこんな感じで部屋の汚さから自分の生活態度がどんどん悪いものになっていってるなと教えられる。自分の心の状況をちゃんと目で見て感じ取って考えてみると、不思議と”運の悪さ”にきちんと理由づけされたような気持ちになる。神様が与えるむちゃくちゃな罰というわけでもなく、他人からの悪意などではなく、きっと自分の心の在り方の問題なんだろうな…という反省につながっている。

 

 

ライフイベントを使って自分の潜在ストレスを測る。ポジティブな出来事もストレスになりうる。

 

ライフイベントとは?

www.nhk.or.jp

なんだか最近疲れている、眠れない、緊張している、楽しめない…そういった時ストレスを疑うと思う。ストレスの大部分はネガティブな出来事に起因することが多い。例えば周りの人間関係によるトラブルだとか金銭トラブルなど。だが、こういったネガティブな出来事がないにも関わらず、体や精神が不調な時がある。

そんな時はライフイベントを使って測ってみることを薦めたい。ライフイベントとは、その名の通り「人生での出来事」という感じだ。自分の生活における転換点といってもいい。ちょっとした通常の出来事とは違ったものを指す場合が多い。このライフイベントにはネガティブな要因に加えて、ポジティブな要因も含まれている。

例えば新しい趣味に目覚めて活動的になるとか、何かうまくいったことがあったとか。こういったものもストレスの要因として点数をつけて測るのだ。普段ストレスというとネガティブなイメージもあるが、実際ストレスというのは意味的には精神にかかっている圧力、負荷を意味するのでポジティブな要因でも精神が少し緊張状態になるならば十分ストレスになっていると言える。

 

成功してる時、順調な時ほど無理しがちでストレスに

成功している時、物事が順調に推移していると思っていても実は隠れて自分の内側に疲れを貯めていることもある。精神がハイになっていると勘違いしているためかもしれない。だが、どこかしらに不調のサインが見え隠れするときもある。食べる量が増えた、減った、時間がバラバラになった、間食が増えた、寝る時間が多い、少ない。

自分にとって良い影響だと信じてしまうときもある。急に活動的、活発になって外出などに明け暮れて、大量にご飯を食べてカロリーを急速に消費!となっていた時期もあった。体はすこぶる健康だと信じていたのだが、二~三週間後に急に体調を崩してなかなか立ち直れなくなるときもあった。体の緊張のサインを自分にとって吉兆だと信じてしまったのが敗因だったと言える。

だからあまりに精神的に順調だとしても、ほんの少し危ないサインをつかみ取ったとき、ライフイベントを見直すことが大切だと思う。ライフイベントの項目をチェックして一度測ってみて客観的評価から自分の今後の体調管理を考えると言ったことも大切だ。

ちなみに自分の状況を測ろうと思い、ライフイベントのチェックをしたところ300点少しオーバーだった。最近ポジティブなイベントが重なって順調だったはずなのにも関わらず、どこか体の調子が悪く日に日に疲労が重なっていた。今回測ってみてライフイベントの点数で見て、現在高ストレス下にあるとわかったので休息をより大切にしなければならないな…と思うことができた。よって休日に外出する予定だったのだけれどキャンセルしたいと思う。このような状況で休日に外に出るよりも、家でじっくり充電期間を過ごしたほうが良いはずだ。

 

おわりに

自分の体調を正確に測ることはなかなか難しい。というのも測ろうとする自分は自分の現在の体調、精神に影響されるからだ。例えば露骨にイライラしているときは自分の体調を正確に測ろうとは思えなくなる。冷静じゃないからだ。自分がトラブルに巻き込まれているとは考えず、自分以外が悪いとか考えていると自分の体調に気づけなくなってしまう。もしかすると自分の体調が悪いからトラブルになっているのかもしれないのに。

 

逆に自分の体調がどこまでも調子がいいと勘違いし、人のことを沢山手伝って感謝されることに夢中になってたりすると後々その反動が倍になって返ってくることが多い。自分の成長のためだとか、将来の為にと頑張って自分自身に無理をさせるための立派な言い訳をこしらえてしまうからだ。

 

そういった時にポジティブな要因もネガティブな要因も同じレベルで点数をつけて冷静に自分の身体状態を測ることを癖にして、自分の無理を最小限に抑えられるようになりたいなと思う。

 

 

 

 

 

TED「創造性をはぐくむには」を見るとアイディアについて考え方が変わる

 

アイディアはコントロールできるのか

 

自分はよくブログの記事を書くのに時間がないとかネタがないと悩むことが多い。”独創的なアイディア”を出せ!なんて無茶振りされた経験はないだろうか。アイディアとはどのようにして生まれるものなんだろう?やはり天才のような天に愛されしものに降ってくるものなんだろうか。それとも血のにじむほど考えた人に与えられる努力賞のようなものだろうか。

speakerdeck.com

こちらのスライドではアイディアの作り方という名著を引き合いに出されている。この本でのアイディアというのは無意識がデータ収集の結果、ある時にふとアイディアが生まれるというもの。まずは無意識に大量のデータを入れ込んであげて、寝てる間も休んでいる間も処理を続けさせる。その後じっくり時間を置くことで発見が生まれるというのだ。だからアイディアというのは偶然ではないと説く。

 

この話も非常に説得力がある。が…ひらめきは本当にコントロールできるのだろうか。そしてコントロールすべきものなのか。それはちょっと疑問が残る。後半の部分で人間の発明の多くは、問題を解決しようとして生まれたものではないという。人間が遊び半分で生まれたものが何かの拍子で役に立ったものの理由の後付けのようなものらしい。

 

アイディアは天才しかつかめない…わけではない

www.ted.com

TEDのこちらの動画では、アイディアとの付き合い方について例とユーモアを交えて教えてくれる。

 

内容をかいつまんでみると、古代ローマなどでは人間に”創造性”なんてものが備わっているとは思っておらず、すべては精霊(これをジーニアスと呼んだ)がお手伝いしてくれると考えた。その結果、すべての作家たちは自分個人の能力の問題でヒット作が生まれるとは考えず、ジーニアスのおかげでヒット作が生まれるんだと信じられた。よってお酒に逃げたり自分を責め立てるような気持ちには幾分ならなかったんだろう。

 

しかし、時代が変わるにつれ人間中心の考えに変わっていった結果、創造性は個人の資質へと変化してしまい作家はヒット作が生まれない苦しみにあえぐようになったというわけだ。

 

この苦しみに対する対処法が自分のためになった。素晴らしい考え方だと思う。

対処法の現代における お手本は― ミュージシャンの トム ウェイツです 数年前 雑誌の取材で会い― この話をしました 彼の人生は 典型的な― 苦悩する現代アーティストでした 扱いにくい創作の衝動を― 制しようと苦心していました 内面の衝動を…

歳をとり 穏やかになり― ある日 L.A.のフリーウェイを走っていて― 全てが変わりました 飛ばしていたら 突然― 頭に 曲の断片が聴こえてきた とらえ難くもどかしい 閃きとして… たまりません 素晴らしくて― 待ち望んだ瞬間なのに― 紙も鉛筆もないんです テープレコーダーもない

いつもの焦燥に 駆られました "これを逃して―" "一生悩まされる" "俺はダメだ 無理だ" 慌てる代わりに 止めました 思考回路を止め― 斬新な行動に出ました 空を見上げ― "なあ 運転してるのが分からないのか?" (会場 笑) "今 曲が書けるとでも?" "書いてもらいたきゃ 出直して来いよ" "面倒見てやれる時に" "でなけりゃ 他所をあたってくれ" "レナード コーエンにでも"

以降 作曲の姿勢が変わったそうです 作風は変わりないですが― 作曲の姿勢と それに伴う不安は― "ジーニアス"を出したら 消えたのです 問題の元を 本来の場所に返し― 葛藤しなくても良いと 気付きました 奇妙で一風変わった 共同作業です 彼と 変わった外部のモノとの対話… 別モノとの対話です

この、「なあ運転してるのがわからないのか?」という問いかけが素晴らしく面白い。確かにタイミングが悪いときに来られても困る。逆に来てほしいときに来なかったりするのでやきもきする。けれど、そんな気持ちを落ち着かせたのが”ジーニアス”という精霊なのだ。自分自身の内側に問題を置きすぎないことが一種の心の安定につながる。

 

だから今こそ、創造性を自分の内側から解放してあげましょうと説く。すべてはジーニアス、精霊のものであると。もちろん個人の努力もあるものの、そこから先は精霊の力を信じてもいい。いつだってアイディアという名の亡霊につきまとわれ、振り回されるような人生を送ってはいけない。

 

自分自身のタイミングのいい時に、ジーニアスの力をほんの少し借りて続けていくことが大切なのだ。自分の力だけで続けていくのはかなりの孤独を要する。自分を責め立ててしまう前に、自分を追い詰める考えから抜け出すというのは大切だと思う。

 

おわりに

ブログや何かものづくりやアイディアを日常的に必要とされる生活を送っていると、時々自分をものすごく責めてしまうことがある。こんなことになる前にアイディアを何故貯めておかなかったんだ!とか、日常で思いついたアイディアを拾っておかないからこうなるんだ!とか。自分の内側にある創造性を信じているからこそ、一滴も逃さないような生活を送らなきゃいけないと固く信じてしまっている。

あるいは日常のすべてをネタにつなげないといけないと信じてしまっている人もいる。ブログを毎日書こうとすると確かにネタになるものはないかと探してしまうこともある。けれど、そんなことを続けていると自分の生活が逆転してしまったり、苦しい気持ちになってしまう。だってアイディアは自分がたくさん自力で拾い集めなければならないものだと信じてしまっているから。

けれど”ジーニアス”の考え方をとりいれると、もっとリラックスした気持ちで”アイディア”に接することができる。運転中はアイディアお断り、ということだってできるようになる。アイディアに振り回されるのではなく、アイディア、ジーニアスとどう付き合っていくか?という考えにシフトしていく。

そうするとアイディアが出ない日も、苦しいなと思う日も自分をあまり積極的に攻め立てないように気遣うことができる。今だってネタがないなと苦しんでいたけれど、”ジーニアス”を思い出して、まあジーニアス君に手伝ってもらった…ということにしておこうか。ともかくアイディアとか創造性というのは持て囃されるけど、案外融通の利かないものだし自分でコントロールするものでもないという気持ちは精神衛生上いいものだと思う。

最近じゃ仕事の効率化とか生産性の向上…と言われているけれど、こちらも独創性とか創造性と同じように扱われている気がする。けれどより高い価値のお仕事なんてのは案外”遊び”があって生まれることも多く、それらはコントロールができない気まぐれなものだ。

機械が進歩して食事や生活が改善され文化がいかに発達しても、脳の機能がそこまで向上したとは思えない。ということは当面ジーニアスと付き合って生きていくのが自然なことなんじゃないかなと思う。