かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

自分の居場所を見つけられないと、続けることは難しい

 

 夢中になることからはじめよう

BIG MAGIC  「夢中になる」ことからはじめよう。

BIG MAGIC 「夢中になる」ことからはじめよう。

 

最近本屋さんに立ち寄ったら上記の本を見かけた。なかなか表紙もきれいで内容も気になったので調べてみたら一度記事を書いたことがあった。内容は天才について。天才とは遺伝だとか持って生まれた才能などではなく、誰しも持っているチャンスのようなものだと説く。そもそも昔は天才という概念は個人特有のものではなかったようだ。だから才能などを比較しないほうがいいという感じだ。

 

kayanomi.hatenablog.com

今回探してみたらもう一つ動画があり、やっぱりそちらも非常に良かったので書いてみようと思う。エリザベスギルバートは大ヒットした小説を書いた人で、その大成功にはかなり苦しい思いをしたという。それは大ヒットした後、どんなものを書いても絶対にがっかりされるだろうから書きたくないという気持ちだ。

www.ted.com

それでも彼女は書き続けるべきだと説く。彼女はヒットするまでに何年も”お断り”をされ続けそのたびに書き続けることを選んだのだ。そしてそれは、自分が結果はどうあれ書くのがとても好きだから。だからずっと書き続けた。

 

これは同じようにヒットした後も言えるという。話の中で面白かったのは全ての読者は次回作にがっかりするというやつだ。大ヒット作が好きな読者は必ずがっかりする。なぜなら続編はその大ヒット作そのものではないから。大ヒット作が嫌いな読者もがっかりする。まだ作者が知ってしまうから、だとか。

 

それでも続編を書いたり新作を作るにはどうしたらいいのか。それは自分の居場所に居ようとすることだという。大ヒットやその真逆でまったくヒットしない状況だったとしても、自分自身はここにいるぞという居場所、彼女の場合は”書くこと”そのものが居場所だったのだという。

 

ヒットや失敗では外部から自分自身の立ち位置がしょっちゅう揺り動かされるのかもしれない。けれどもそのたびに自分はどこにいるのかを再定義する。そして結果を求めず、ただ自分自身が居たいと思える場所に居続けようと説く。だから居場所、特に結果なんか気にしないくらい夢中になれる居場所を作ることがとても大切なのだ。

 

自分の居場所はなんだろう

そんな話を聞いて、自分の居場所ってどうだろうかと振り返ってみる。今の自分はやりたかったことがやれているのだろうか。そもそも”夢中になれること”そのものが居場所になるとは思ってもみなかった新しい観点だ。

 

自分は自分の居場所がそもそもあるだろうか。物理的な意味ではなく精神的な意味できちんとした場所がどこであるかを知っているだろうか。なんとなく居心地がよさそうな場所に居て「本当はここじゃない」みたいなことを言っているような気もする。できれば自分自身に自信をもって自分はここに居たい、ここが自分の場所だと言えるようになりたいと思う。

 

インターネットという言葉をあまり耳にしなくなった気がする

 

インターネットという言葉そのもの

最近、インターネットという言葉を実は耳にしなくなってきたんじゃないかと思い始めた。Wifiにつながりにくいとか、ギガが減るとか。インターネットに接続するとはもはや若い人は言わないのかもしれない。調子が悪くなった時ネットに繋がらないとはまだ言うかもしれないが…。無線につながらないともいいそうだ。

 

ブラウザについてもPCが主流だったころはInternet Explorerのアイコンを見て、なんとなくインターネットといったらこのマークだなと思っていたのだけど、もはやInternet Explorerを見かけることはほぼなくなったような気がする。Windows10になって標準になったMicrosoft Edgeはあの "e" マークを継承しているけどインターネットという言葉は外れてしまった。 

 

なぜならインターネット上のコンテンツを扱う主戦場はもうスマートフォンに移ってしまったからだ。そこにはGoogle ChromeとかSafariがインターネットへの接続口になっていると思う。もっと言ってしまえばユーザはもはやブラウザとは思わず、ただアプリと思っているだけだろう。アプリはネットに繋がって何かを表示するみたいな。

 

自分の言葉の感覚ではインターネット=未来的なモノ、先進的なモノだったのだが、もうこの言葉は時代遅れなのかもしれない。インターネットはあまりにも当たり前になりすぎてしまったのか。もちろんインターネットは全然古くなんかちっともなっていないはずなのに、ことさらインターネットという言葉を強調するのはもう終わったのかもしれない。

 

 

秋の反動により自分の腰回りが…

 

腰回りが…

秋はおいしくなんでも食べてしまう。が、その分の反動がじわじわとやってきている気がする。最近の腰回りに違和感を感じるようになってしまった。いや、前からうすうすは感じていたのだが…いよいよ無視できなくなったと言ってもいい。間違いなく反動である。

 

さて、食べすぎてしまった後の対処はどうしたものか。普通ならダイエットや運動といったほうに向かったりもするのだが…。昔、母親に言われて面白かったのはきっと冬眠するために栄養蓄えているんでしょ、という言葉だった。なるほどそう考えればこの腰回りは冬に向けて体が防御をしようとしているのかもしれない。

 

とはいえ冬は冬で鍋がとってもおいしいのだ。こたつにみかんやコンビニおでんがおいしい。そして寒くて運動なんてちょっとやそっとじゃできない。それでも実は春になると腰回りはすっきりしていたのだ。そう考えると母の指摘もあながち間違ってはいないのかもしれない。

 

まあ無暗にダイエットなどといって実家のご飯を残したりするのが許せなかったのかもしれないし、成長期だから食べさせたかったのかもしれない。ただ、大人になってしまうとこの腰回りは成長分には回されないだろうから困ったものだ。

 

冬の寒い部屋でぶるぶる凍えて熱に変えたりしても風邪をひいたら元も子もない。ただ…不思議なのは暖房をつけた部屋でじっと過ごしているとだんだん熱くなってきて運動をする気になってきてしまうことだ。夏、涼しい部屋だと運動する気がなくなるのと逆な気がする。

 

なので思うに自分は冬になると微妙に部屋の中での不思議な運動量の増加が認められるのだ…。たぶん、体が暖まってくるとちょっと元気になるのかもしれない。そういった効果をこの腰回りにも期待したい。

自分の得意料理はチャーハン!

 

チャーハンつくるよ!

今週のお題は「得意料理」ということらしいのだけど、自分がほんの少しだけ得意というよりは得意げにする料理はチャーハンである。なぜかというと昔、2chでなかなかいい文章でおいしいチャーハンの作り方というのが書かれていたからだ。それをもとに作ってみるとこれがなかなかおいしかった。それ以来チャーハンは得意げに作る料理だ。

oryouri.2chblog.jp

上記が昔自分が見て参考にしたやつ。もうテンプレ化しているのだろうか。ちょっと思い出を振り返りつつ引用させていただこうと思う。

※2002年~2005年にかけて「炒飯15氏」 が書き込んだ伝説となっているチャーハンの
作り方をまとめました。私は今でもチャーハンや炒め物を作るときの参考にしています。

 ということで自分も確かにずっと参考にしている。特に参考にしたのは初級編。そっかチャーハンって作る前にご飯と卵混ぜちゃえばいいのか!とびっくりしたのを思い出す。たしかにそうしたほうが卵を均等にだれでもなじませることができる。なるほど料理も工夫だなあと納得した。

 

そこからチャーハンにいろいろ混ぜ混ぜするなど工夫を加えていった。ベースとなる普通のチャーハンが作れるようになると少しずつ自分好みに改良していくことができるようになった。自分はチャーハンにソーセージを入れたい派である。そもそもソーセージがおいしいのでチャーハンもおいしくなるのだ!

 

おわりに

別に料理は得意じゃないし胸を張れるほどじゃない。だからちょっと料理を本格的に…となると腰が引けてしまう。けれどこういったネットの面白い書き込みを見るとどれどれ自分も作ってみて反応を書いてみようかな?とか別の動機が生まれて動きやすくなる。みなさんもぜひチャーハンを。

  ∧,,∧
 (;`・ω・)  。・゚・⌒) チャーハンつくるよ
 /   o━ヽニニフ))
 しー-J

 

戦術を戦略化してはいけないということを考えた

 

戦術の神格化

kayanomi.hatenablog.com

最近、何度か失敗の本質を読み返す機会に恵まれたので”戦術”と”戦略”について自分なりに考えてみた。日本軍は個人の戦闘能力と機械の能力の先鋭化が強力な戦術だった。自分の強みを最大限理解し、それを有効活用する。これは非常にまともだろう。

 

ただ、これを戦略化してしまうと地獄を見る。つまり個人の戦闘力と最新鋭機器によって敵を圧倒的に粉砕するとか見敵必殺とか。戦術の強力さによって敵を倒せばすべてが解決する。=目標をそこに定める=戦略と化す。さて、この後自分より強い相手が出たらどうなるだろう?

 

上記の場合、個人の戦闘力と最新鋭機器を無効化された場合、戦略的敗北に直結する。自分が相手よりも圧倒し、敵を倒して勝利するはずが、自分より強くて勝てずに敗北。じゃあ次はどうしよう?こうなると当初の戦略が覆ってしまうことになる。戦術と戦略がほぼ同じだから戦術で負けると戦略で負けたことになってしまう。

 

戦略の失敗は戦術で補うことはできない。米軍は戦術と戦略を分けていたのだろう。いったん日本軍に負けたが、そこから機体の解析や1vs1ではなく複数人で対応するなどを盛り込み個人の戦闘力に頼らずシステム的に対処できるようにした。

 

個人もやりがちかもしれない

ここまでが失敗の本質から学んだことだけれど、これは個人や会社などにも当てはまるだろうなと思う。個人の場合は就活などが該当するんじゃないだろうか。自分の特技をそのまま売りとして戦おうとする。これは戦術の戦略化に似ていないだろうか。

 

例えば自分はサークルで人をまとめるのが上手く、口も達者だから営業として売り込んでいくとする。でも周りが全員自分よりもまとめるのが上手かったら?自信を無くして敗北感を感じ、自分の実力を疑ってしまうのではないか。

 

だから難しいけど自分のやりたいことを目的(=戦略)としたほうがいい。自分の得意なこととは分けたほうがいいはずだ。いざ自分の得意なことが通用しない時、道を見失いかねない。自分がやりたいこと、目標を達成するために手段がある。手段の目的化とはこういうことを言うのかもしれない。

おわりに

自分の将来などを考える際によく今自分ができることなどを考えてしまうのだけれど、ふと自分の戦術と戦略ってなんだろうなあなんて考えてみた。普段使わない戦術と戦略という言葉を使うことでより客観的に、広い目で見れるような気がした。

 

自分が得意としていることを使って周囲から抜きんでようとすると周囲に目がくらんでしまい、視野が狭くなってしまうのかもしれない。周囲と差別化をするのは自分の能力じゃなく、自分がどういう意識でどういう道を進むかということなのかもしれない。