かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

よくない習慣の積み重ね

 

夏休みの課題をギリギリで間に合わせることはたまにできる。

繰り返すとそこそこ上達し、なおさらギリギリまで延ばすことができる。

何事も延ばすのに慣れて、それでもどうにかなったりする。

ダメだったときはなにか他にも理由がある。そんな風に正当化してしまう。

 

ダメでもなんとかなる。それを繰り返している。

これは悪い習慣だ。良い習慣は良い成功体験を繰り返すことで継続される。

悪い習慣はなんとかなる、どうにかなるの精神でどうにか成功して繰り返される。

気がつくと自分に甘えてしまっている。

 

これは癖なんだ、性分なんだと思ってしまう。だけれどこれは悪い習慣だ。

ただの習慣、繰り返しに過ぎない。そう思わないと治せない。

どうしようもなく治せないと思い込んでいたらずっとそのままだ。

ダラダラは楽だし、ギリギリまでやらないスリルまである。

それでいてどうにかなるなら、そちらのほうがいいと流されてしまう。

 

今の自分がそうだ。悲しいことに。だらだら夜更かしして早く寝るために記事を書く。

宿題はギリギリのほうがクオリティが高い、なんて冗談である。

良くない習慣を良い習慣に置き換えなければならない。

自分の価値を最大化する環境づくり

 

VRを始めてから部屋のレイアウトを変えざるを得なくなった。
十分なプレイスペースを確保するためだ。

とりあえずいろいろ押し込み、プレイを優先した。

が、最近配線が増えすぎてコンセントも足りなくなった。

様々なものが押し込んだせいで窮屈になった。

 

最近は机の上がまったく片付かなくなった。

プレイスペースに物があると危ないので床の上には何も置かない。

他のものはなにかの上に置く。本棚とか机の上だ。

そうするとそこが片付かなくなっていく。

 

机の上に絶えず物があると、集中力が削がれる。

新しいものが始められなくなる。気力がなくなる。

まず片付けるのがめんどくさい。そうしてどんどん状況が悪化する。

 

今日、ようやく机の上を整理した。ちょっと模様替えをした。

やってみてふと思ったことがある。

自分にとって一番価値のあることを最大化したほうがいいということだ。

それは部屋の面積についてもそうである。

 

自分はVRのために部屋の面積の大半を消費した。残りはどうでもいいと圧縮した。

が、自分にとってもう一つ大事なのはブログ更新だったりとにかく書くことだ。

書くのに大事なのは、書く場所である。すなわち机である。

自分にとって大事な作業をする場所を最大化するべきだ。

自分にとってどうでもよいことは、不便でいい。面積を少なくしていい。

大事なものに、最大の投資をしたほうがいい。

 

当たり前のことかもしれない。けれどもよく忘れてしまう。

部屋の片付けは面倒くさいことだからだ。つい楽をしてしまう。

でも自分にとって大事な面積であることを忘れずにいたい。戒めとして。

たまごあんかけのあたたかさ

 

なんでこんなものを書こうと思ったのか。誰が得するのか。

そんなことは置いておく。ともかく自分が感動したのだ。だから書く。

たまごあんかけは本当においしい。出汁が良いとそりゃもう本当にいい。

 

あんかけは冷めにくい。おいしさがいつまでも残り続ける。

これを不思議に思って自然科学コンクールで発表した中学生もいる。

www.shizecon.net

きちんとした研究もさることながら、審査評も味がある。

あんかけが好きな人が研究して、それを好きな人が評価する。

今後としてあんかけにすると麺が伸びにくくなるのかというのもある。

どうなんだろう?個人的にはちょっとだけ伸びにくくなるのかと思う。

 

 

あんかけにはいろいろ種類があるがたまごあんかけは美味しい。

だが、なんでもいいわけじゃない。卵ばかり主張するあんかけは好きではない。

逆に味が薄すぎてもよくない。その絶妙な加減の中で出汁が主張しているのがいい。

じわりじわりと体が温まりつつ、出汁の加減を舌で楽しむ。

強く感じすぎず、さりとて弱すぎず。味わう楽しさがある。

 

超巨大お肉とか相当濃いラーメンとか。そういうものもダイレクトでいい。

ただ、案外強い味というのは強さになれると飽きてしまう。

こういう味なのかとわかる、体が強制的に理解させられる。もういいよと言い出す。

全体が同じ味になっているというべきか、塗りつぶされた味になりがちだ。

 

だが、小さいがきちんと主張する味。

そのしっかりとした味を見つけるのには夢中になる。

体も探り当てようと必死になるのか、次の新しい刺激にわくわくする。

味が小さいとあちこち観察しようと体のほうが主体的に感じようとするのか。

もしかすると体が持つ本来の味を調べる機能がよく働くのかもしれない。

じっくり楽しみたくなる。そういう料理は本当にいい。

 

温かいという中にも様々な種類がある。

ファンヒーターから直接感じる火の温かさ。

側で木がパチパチ燃えて少しひりつく温かさ。

遠赤外線とか体の内側がじりじりするゆっくりとした温かさ。

どこまでも沈み込み、抜け出せない深いじんわりとしたこたつの温かさ。

 

同じように料理にもいろんな温かさがある。同じような味にも種類は無限にある。

それを感じつつ食べる。体に起きる感覚を確かめる。

そういう時間がたまに過ごせると、ああ生きてるっていいなと思うのだ。

ご飯を集中して食べる幸せ

 

お昼をのんびり食べていてふと気づいた。

ご飯を食べるとき、ご飯と味噌汁を同時に持って口に流し込むことはないなと。

おかずを食べ、ご飯を食べ、味噌汁を飲む。一つ一つ、丁寧にやる。

結局口は一つしかないのだ、動作も一つで良い。

 

食事中に片手でスマートフォンをいじりながら食べている人もいる。

あまりおいしくないのか、興味がないからか。

 

例えば食事中に目の前でお祭り騒ぎが起きたとしたら。確かに食事に集中できない。

同じようにインターネットの世界が食事よりも賑やかなんだと思う。

でも、誰もが同じインターネットを見ているわけじゃない。

人それぞれ見ている世界が違う。それもまた面白いことだ。

 

たまに静かな場所でのんびりおいしい料理を食べると心が自然と落ち着く。

あれもこれも、いっぱいのことに囲まれている。

そんな中でふと、ただ食べるということだけに集中できるのは幸せだなと思った。

うまく書けないことは書かないほうがいい

 

これは自分にとって鉄則である。単純な言葉だが、必ず確かめなければならない。
文章に詰まったとき、うまく書けないと感じたとき。気が進まないとき。
うまく書けないことは、書かないほうがいい。


これは諦めるという意味ではない。

うまく書けないと感じたことはあるだろうか?
日本語を書いている限りでは言語の使い方に問題はないだろう。
ここで言う、うまく書けないは自分の気持ちや知識が足りてなくて書けないことだ。

自分の知識が足りなくて書けないというのは、学問的な意味ではない。
大宇宙の神秘について書くことは素人にはほぼ不可能だ。
うまく書けないどころか不可能である。無謀である。
経験と言ってもいいかもしれない。知らないことはそもそも書けない。
わからないもの、気づいていないものは書けない。

 

書けないときは焦点がたぶんずれている。
自分にとって書けないテーマで書こうとしているのだと思う。

 

今のこの記事が文章術として書こうと思っていたら自分はもう削除していると思う。
この文章が特別読みやすいとは思わないし、よくいるブロガーの文章だろう。
じゃあ自分が書けないと思わない理由はなにか。
これは今、自分自身が強く感じていることだからだ。
強く感じたものを書くことはできる。

 

この文章を書く前に違うテーマで書こうと思っていた。でも書けなかった。
よくある仕事術的なものを書こうとした。
けれども、うまくかけない。自分にとってうまくいっていないからだろう。
どこかで読んだビジネス書の言葉ばかり並んでいる気がした。
自分の気持ちがうまく書けなかったのだ。

 

だから自分の中にあるものをきっと書いたほうがいい。
そんな風に思う。自分の気持ち、知識、考えなら整理することができる。

どこかからコピーして貼り付ければ書いたように見せることもできる。
でもそれは自分で書いたことではない。
自分で書くなら、自分の中から書かないといけないと思う。

 

うまくかけないなと思うとき、自分の中からちゃんと書けてるのか。
書けないのならたぶん自分のものになってない。
だったらそれは書かないほうがいい。自分で責任も持てないからだ。

書けるものを書こう。いまはそう思っている。