かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

パーソナルアシスタントの悪夢、青い鯨と鳥

 

思想誘導するアシスタント

ふとSiriやGoogle Assitantの社会主義バージョン「偉大なる同志」が出てきたら悪夢だなと思った。小説などの世界ではビッグブラザーなどがいて、思想の統一を間接的に行っている。世の中のニュースなどは偏向され、個人の情報のやり取りは検閲される。学校の勉強や触れられる書籍が思想を誘導する。これのパーソナル版は悪夢だろう。

 

世間を騒がせている「青い鯨」、「モモチャレンジ」がこの発想に似ていると思う。

自殺コミュニティの参加者は、管理者から50日間にわたり毎日異なる課題を行うようSNSを通じて要求され、その証拠の画像をSNSへ投稿し、報告するよう求められる。その課題は次第に過激なものへとエスカレートし、最終的に自殺を指示される

青い鯨 (ゲーム) - Wikipedia

 この程度で人が死ぬわけない、もともと死ぬ人間だったと思う人がいると思う。
だが、それは明確に誤りである。
よく考えれば振り込め詐欺が減らない理由もわかるだろう。
振り込め詐欺は現代ではとてつもなく巧妙に日々進化している。

 

どうして振り込め詐欺が巧妙化するのか?それは、ひっかかる人間は必ずいるからだ。
それ自体はしょうがない。
だが問題なのは味をしめる連中がさらに高度化していくことだ。
さらに模範的商材として他のグループにも伝搬していく。

 

じゃあだまされないようにしてればいい、お金さえ振り込まなければいい。
そう思うのは簡単なことだし、自分に自信があればそう考えるのも無理はない。
でも一般人は専門的な詐欺師にはきっとかなわない。おまけにサイコパスもいる。
そう思うのは日本でかつて起きた北九州監禁殺人事件を読んだからだ。
詳細を読むのはおすすめしないが。

 

悪魔の技術の洗練

長く書いたが、最悪なのは自殺に追い込む手法が面白半分に洗練されることだ。
インターネットのサイトを信じ込んで死ぬ人間なんていない、は通用しない。
彼らはいかに自殺させるか、日々大量の被験者を使って実験しているのだ。

 

こうした悪魔の技術がスマートフォンの全画面広告やGoogleに当選しましたという架空詐欺サイトに飛ばされたらどうなるだろう?
自殺誘導サイトの管理人たちは面白半分だからお金を出して広告なんか出さない?
日本語が下手な外国人しかいないから大丈夫?

 

ある程度はそうかもしれない。が、慢心するのは良くないだろうと思う。
現状の技術で用意に可能だからだ。
ハッキングの被害を受けて不正なものを流されることもある。
ハッカーの宣伝キャンペーンに自殺サイトへの誘導なんて行われたら悲惨だ。

 

こうしたサイトがやることは身近なSNSアプリに攻撃者への連絡手段を作ることだ。
被害者の日常に寄り添い、思考を誘導するのが目的である。

 

彼らは多感な子どもにターゲットを絞り、大人は対象外になっているかもしれない。
もしくはもう間接的に殺害しているかもしれない。
いまやネットで危険な行為を大人が自主的に行うことも多い。
それは再生数につられた危ないYoutuberである。
再生数をエサに危険行為をエスカレートさせる手順が開発されたら地獄だろう。
もしくは弱みを握って脅すとかだ。

 

近くにいる危ない存在

話を戻すとパーソナルなアシスタントが思考誘導するとは悪夢だと思う。
北朝鮮とかでアプリ「偉大なる同志が見てる」とかのインストールが義務化されたら。
ある程度ジョークとして周囲からは見られるが、本人たちは本当の地獄である。

 

これらに毎日の記録、思想の提出とかSNS制限、演説の視聴など強制されたら病む。
あまりに荒唐無稽と思われるかもしれないが、できないわけじゃないのがタチが悪い。

 

例えば中国あたりの思想犯の牢獄で社会実験をやったらどうだろう。
実験を繰り返していけばだんだん巧妙になるんじゃないだろうか。
さらに青い鯨みたいなサイトを作った人間を雇って思想の矯正に協力させたら。
金盾のような検閲エンジンをさらに高度化させてプロジェクトに組み込んだら。

 

もしGoogleが「Do the right thing(正しいことをしよう)」を拡大解釈したら。
アシスタントに命令形で言っても「丁寧に指示して」と言われたらどうだろう。
教育としてこういうことをやると日本の過激な人々から非難を受けて炎上しそうだ。
まあ反対側の人々が機械に対して失礼とか言って燃える気もするので面倒ではある。

 

こうした発想はAIなどを研究している人々にとってはタブーだろう。
存在してほしくはない問題だと思う。
でも人類はかつての歴史でこうした過ちを何度も生み出してきた。
今回はどうなるのだろうかとちょっと思ったりする。
願わくばインターネットという全世界の集合もどきが良い方向に向かってほしい。

…が、得てして誰れもが自分にとっての良い方向だと信じているわけである。
だれもが間違っていないと信じている。
そんなふうに自分はちょっと暗い考え方をついしてしまう。

自分が望む感動ポルノに浸りすぎていないか

 

ビジネス書も行き過ぎると

自分は海外や日本の中で素晴らしい取り組みをしている企業の話が非常に好きだ。
例えば無駄な会議をしない、意思決定が早い、フラットな組織構造など。
こういったものは本屋でキレイな表紙と帯に飾られている。

 

こうした本はいかに日本の企業がダメか、生産性が低いかを軽快に断罪していく。
「そうそう」と自分にあてはめて読んでしまう。一種のストレス解消だ。
自分の感じる不満を誰かが言語化してくれて本当に気持ちいい。
よくある自己啓発書と同じ効果がある。

意識高いし、勉強してる気になれる。おまけに自分の不満を和らげてくれる。
これほどいい趣味はないんじゃないだろうか。

 

でもある日、本屋に立ち寄った自分はイライラしていた。
なにかいい本はないか、気持ちを代弁してくれるようなものは…。
そして気づいた。これは異常である。なにかを間違えている気がする。
本屋に来るのは幸せなはずなのに、ストレスを感じる。

 

ストレス発散はいいことだと言われるが、自分はちょっと違うなと思う。
カラオケで不満をぶちまけたりとか、もやもやを動いて解消するなど。
それでちょっとは気が紛れるが、だんだんストレス解消の耐性がついてしまう。

 

ストレス解消では本当のストレスの原因は変わらず、また新しく溜まっていく。
そしてどんどん増えていく。するとストレス解消の効き目が弱いと感じてしまう。
するともっともっと…となる。これじゃストレス解消の中毒だろう。

 

そう考えると自分もなにかの中毒反応を示していると感じた。
中毒になっているときの反応は麻薬的なものと一緒である。
依存している何かを得られないとイライラする。
そして依存にますます熱中する、しがみつく、冷静になれない。

 

よくない読書中毒

じゃあ自分はいったいなんの中毒なのか?
おそらく感動ポルノのたぐいだろう。もしくは老害みたいなやつだ。

 

日本のブラック企業あるあるや社畜といったコンテンツを切り捨てる気持ちよさ。
ある種のブラックポルノというかそんな感じのだ。
だいたい意識高い人が酔うものと一緒である。
要は合法的に叩けるものに酔いたいのだ。
それが日頃自分の近くにあって感じやすいものだとなおさらである。

 

老害とは凝り固まった考えにしがみついて自分は正しいと思い込みたいことだ。
自分が特別で、そして正しい中にいて他の人を断罪したいと思い込む気持ちである。

 

こうした気持ちがあることを自覚した。そしてすごく恥ずかしくなった。
自分は勉強している人間に見せかけてただポルノを見に来ただけである。
自分に合うポルノを浅ましく探しているだけだ。
そして自分を肯定して、敵を断罪してくれるものに甘えたいのだ。
勉強などと言っているがごまかしてるだけだ。娯楽でしかない。

 

そう思うと今まで自分がしてきたことが本当に恥ずかしくなってきた。
自分が身につけたのはポルノな知識じゃないのか。
それを書き綴って新しいポルノを作っているだけでは。
そう思うとブログを書くのがおっくうになった。

 

結局ブログはポエムみたいなものだ。それはしょうがない。
だから、自覚しつつ時々振り返らないといけない。
あれこれがよくない、不満だ、遅れている。
そういうのは簡単だし、言うのは気持ちいい。

 

でもそれでなにかタメになるのか?
本当にだれかのプラスになるのか?
自分が愚痴をいいたいだけじゃ?
老人の昔はよかったと同じくなっていないだろうか。

そんな風に最近反省した次第である。

 

旅行には少し悪い思い出があっていい

 

ちょっぴり悪い思い出がいい味を出す 

旅行にはトラブルがつきものだ。多少のトラブルは思い出すと笑える。

旅行の最中にはホントに参るのだけれども。
でも思い出に残りやすい。
いい思い出とちょっと悪い思い出があるとちょうどいい。

 

さて、思い出の家族旅行と言ったらお昼ご飯が食べれなかった旅行である。
道に散々迷ってすごい時間がかかった覚えがある。
当時子供だった自分にはなによりも地獄だった。

もはや旅行どころではなく景色も全く見ていなかった。
とりあえずどこかでご飯を食べようと必死だった。

 

そうして観光地でのご飯を諦め、適当にファミレスに入った。
でもそこで食べたご飯があまりもおいしかった。
結局家族で美味しく食べれたしよかったね、と。
お腹が膨れれば人間単純に幸せになる。子供ならなおさらだ。

 

観光地で何を食べるかよりも家族で仲良く食べることを大事にしたほうがいい。
イライラして行列に並ぶよりも食べたいものを余裕を持って食べたいものだ。

 

大人になってからぶらりと一人旅をたまにするのだけれど
ふと混雑したレストランなどを見るたび家族旅行のことを思い出す。
そのたびあんまり無理せず自分らしく楽しめる食事をとろうと思う。
結局旅行は楽しめたらいいのだ。そんなことを学んだ。

お店に入る前に自分のことをわかっててほしい

 

事前に出しておきたい情報

ポイントカードがとっても苦手である。かさばるし出すのを忘れる。
最近はアプリなどになっているが面倒だ。
なにか便利な方法はないかと考えていたが、ふと思った。
料理を待っている間暇だなあ、と。
来店直後にポイントが貯まるようにしてくれればいいのに。

 

そもそも店側がポイントカードを作りたい理由はなにか。
5回来店で半額みたいなポイントカードは来店可能性を高めたいのだろう。
毎回の料金の1%還元みたいなポイント制の場合、なにを注文したかを知りたい。
そして高い料金を使っても還元しているから少しお得感がある。
けれどもそれらは事後の情報だ。事前に店側は情報を持っていない。

 

事前に情報を持っていると便利だなと思うのは回転寿司である。
回転寿司ではそれぞれに好きなネタの傾向があると思う。
だから過去の注文傾向がわかっていればすぐ提供できる可能性が高まる。
需要を先に把握することができるのだ。予測を立てることは重要である。

 

究極的に言えば店に来る前にお客さんが何を食べたいのかがわかっているといい。
そうすれば提供は早くできるし材料などの余裕もできる。
人員も減らせるかもしれない。

 

だったら来店前にアプリなどで注文してもらえばいい。
が、それだといたずらが発生しそうで困る。クレジットカード対応が必須か。
それか一度来店してもらってキャッシュカードにするか。それも微妙そうだが…。

 

ともかくアプリで事前注文してもらい、そこにボーナス還元をつける。
前回と同じ注文ならプラス1%とかたまご無料とか。
今日のおすすめを選んだ人にはドリンクプラスなど。

即時性があっても面白いかもしれない。グッズなどでも釣れるだろう。
フードコートや食堂など複数店舗をまたいだ場合、メリットはさらに高まるはず。
一つの店舗じゃシステム面の負担も大きいし、客にもメリットが少ないからだ。

 

なんて考えつつ、ご飯が来たので後でブログに書こうと思ったわけである。
世の中もっと便利になってくれると助かる。
今日の晩ごはんなににしようかなとなるべくは悩みたくないものだ。
自分の体の管理をシステムに任せたいと思うものの、そこまでよりかかるとマズイよなあと思ったりする。
でも自分が自分の体を管理できてないので、うーんどっちもどっちかと思ったり。

 

働いて幸せになるよりも幸せに働いたほうがいい?

 

働くということに左右されない幸せ

nakaken88.com
こちらの週4の勤務の良さを見てふと思った。
働いて幸せになるよりも幸せに働いたほうがよいのでは、と。
言葉の順序が逆なだけだが、意味が少し違う。


働いて幸せになるというのはブラック企業的なポリシーによく使われる。
今がキツくてもいつか報われる。だから今頑張ろう…と無限に続く。
いわゆるやりがい重視の仕事の論理だと思う。

 

もちろん働くのが楽しすぎるプロフェッショナルも多くいる。
だが世の中の大半はたくさん働くことは非常に苦痛であることが多い。
週5勤務でも大丈夫だという人もいるが、平日はなにもできないほど疲れる人も多い。

 

どれだけ働いても仕事では幸せになれない人だっている。
給料をもらい金曜夜にたまったアニメをお酒を飲みながら見ることが至福の人もいる。

 

それと反対なのが幸せに働くことだ。
幸せを前提としてはたらく人は幸福じゃないかと思う。
つまりすでに幸福ならば勝ちである。職場環境や働き方が幸福な人だ。

ストレスがたまりにくいとか、休みが取りやすい、人間関係が良いなど。
なんていうか幸せが仕事によって大きく左右されずに担保されている。
それはとっても幸せであり日本ではほぼ見ない気がする。

でも本来はそうあってほしいものだ。
仕事がきつくても、まず前提としてとりあえず幸福に過ごしたい。
そんなことをちらっと思った。世迷言と言われると少しさびしい。
たくさん働かなければ幸せになれない世の中というのはさびしくないだろうか。
そんなに甘い世の中ではないこともよくわかってはいるものの…。