かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

GWのふりかえり

 
今週のはてなブログのお題は「特大ゴールデンウィークSP」でGWについてだそうだ。
終わったあとのふりかえりとして書かせてもらおうと思う。
今年のGWの自分の目標は「普段どおり過ごす」だった。

三連休だとか休みの日につい新しいことをやろうと思いがちだ。
時間がたっぷりあるから、いつもよりもできる可能性があると。
作業時間として使うことでなんらかの進捗もでるはずだ。

でも自分は、いかに己が怠け者かを知っている。
おそらく普段以上のことはできないだろうと。
だが、裏を返せばいつもどおりできていることは、いつもどおりできるはずだ。
新しいことをやるよりも、いつもできていることをちょっとだけ頑張る。
それくらいでいいだろうと。

自分自身に高い目標を休みの日に掲げてしまうと、なんだか仕事みたいで疲れる。
休みどころか作業ばかりで余計に疲れてしまう。それが嫌だった。
なんてことない一日を過ごすのはもったいないと思いがちだと思う。
でも、そういうのは普段からほんの少しずつでもやるべきだ。

たしかに平日にやっていないスポーツとかお店に行くとかは難しい。
でも新しいことを学ぶだとかは平日でも5分でも入門は可能だ。
普段からちょっとずつやることで、休日もハードルを低く始められる。
休日にやるぞーと気合を入れてできなかったときのダメージは大きい。
自分に責任を背負い込ませるのがあまり好きではない。

今年はのんびり過ごすことができた。気負うことなくお昼寝ものんびりできた。
頭を空っぽにして、たまに夜更かしして、おいしいごはんも食べた。
ブログの更新も前から書きたかったことが書けて満足だった。

どれも当たり前で、普段からもできることをのんびりやれた。
特別な新しいことはなにもやっていないが、心穏やかに目標を達成できた。
今年のGWはとても気分良く過ごせてよかった。

VRの本質について自分が思うこと

 

現実を相対的に見ること

正直なところVRが現実に引き寄せられるという考えは好きじゃない。
この考えは”現実じゃないと確かな保証がないから怖い”に行き着くんじゃないか。
VRは幻で、確かな物体、物質がなく、なにもかも保証がない世界のように思える。
だから現実という確かなもので確認したい。そう思う人がいるんじゃないか。


自分にとってVRは魔法でもすごい技術でもなく、もはや日常である。
毎日平均2-3時間はプレイする。
最近は”プレイする”よりも”VR空間で過ごす”のほうがしっくりくる。

まだ700時間位しか過ごしていないが、十分すぎるほどVRが大好きだ。
現実の世界に行っても、VRだったらどうだろう?と常にVRの視点で考えてしまう。
この考えはそのうち、VR脳と批判されるかもしれない。*1


自分はVRに確かなものはなにもなくていいと思っている。それは物質的な意味でだ。
というか現実と対比したり、現実を保証してVRを見ることが間違っていると感じる。

VRをありのまま、新しい世界と捉えるべきだと思う。
現実を基準にして見ない努力をしないといけない。
新しい基準、新しい視点をありのまま受け入れること。それが大事だと思う。


そして、VRだけの表現を発展させてほしい。
現実に縛られた表現は、現実で可能なのだから。
VRでは現実から解き放たれる。それは新しい理解を文化にもたらすと思う。
例えば本ができたように、絵が発展したように、動画によって記録がなされたように。

 

VRが変化させるもの

自分はVRはただの情報量が増えたメディアだと思っている。
二次元情報から三次元情報に進化しただけだ。
それは技術的に難しいかもしれないが、特別な進化ではない。

人間が文字から絵、音声、動画の記録を求めたように、VRとして三次元の情報記録を求めているだけだ。
4Kだとかハイレゾだとか、そういった着実な進歩の上にVRは存在していると思う。
たしかに技術的な意味では特別ではない。
でもその上に成り立つ文化の変化は本当に大きなものだ。

インターネットは人、まさしく肉体そのものを変化させたか?Noだ。
でも文化、時代は確実に変化し、人々の意識はずいぶんと変わった。
これは人間のOSのバージョンアップデートに等しいと思う。

人間の思考のバージョンが変わると、それ以前の人とはギャップが生まれる。
互換性を持てない人もでてくる。ジェネレーションギャップやディジタルディバイドと同じような単語も生まれるだろう。それこそIT、ICT革命である。
VRが当たり前として意識の選択肢にある人は、それ以前の人とは交流しないかもしれない。


ARとVRは個人的には違う道をたどるのではと思っている。
というかそうなってほしい。
VRをARとして、現実のシミュレータとして使うには惜しいからだ。
現状VRは普及のため現実のシミュレーションを売りにしているが、本質は違うと思う。
人類がまだ見たことのない、わかっていない領域を表現できうる技術のはずだ。

 

おわりに

VR技術の発展によって現実の絶対性は揺らぐと思う。
今までは現実と比較するものがなかった。*2
現実の科学技術として現実と比較できる世界ができたことは大きいと思う。


今、この現実という世界は人間の感覚器で認識される世界だ。
目、耳、鼻、触覚。そういったものがなければ、現実もVRも変わらない。
フレームレートやまだまだ現実の効果が完全再現されていないかもしれない。


だが、現実は常に完璧である必要はあるのだろうか?
脳ではいらない情報は削ぎ落とされている。
人と話しているときに窓の外の雄大な風景を最大限見る必要はあるのか?
面接中にそんなことをしている暇はない。

大切なのは目的を果たすことだ。
その目的に対してVRがどれだけ有効なのかを考えるべきだろう。
VRでは本当に必要なもの、提示される本質に現実よりも集中できるのではないか。

観光業などは空気、香り、飲食、移動のよさ…そういうのはVRにはない特別なものだと言って生き残りをかけるかもしれない。
でも観光としての本質は風景を見ることだったら、VRに本質を奪われている。
異国の人との交流だって、VRChatで生身のようにコミュニケーションできる。
これはメジャーな価値を奪われ、マイナーな価値によって生き残ろうとしている。
似たようなものは違う分野でよく見る。
本当は主戦場を奪われているのだという認識がいる。

情緒だとか風情もいいが、本質を見失うと進むべき道を迷いがちだ。
VRと相対して考えるとき、新技術と向き合って未来を考えるとき。
そういうときは、なにが本質なのかをじっくり考える必要があると思う。

*1:いかにもありえそうでとてもおもしろいと思う。昔は読書を批判したそうで、今度はテレビがいいものにされるかもしれない

*2:明晰夢などは別として…。

VR図書館と青空文庫の夢

 

居心地のいい場所を自分で作ること

VR図書館は案外簡単に作ることができた。
もっと専門的で難しいかと思ったが、そんなに時間はかからなかった。

VRChatは基本無料で、自分でVRで遊べる世界を作れる。本当に素敵だった。
図書館として認められるうえで必要な法律などは知らない。
でもVR図書館は個人で作ることができて、いろんなことを学ぶことができた。

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夕焼けの図書室

自分が作ったのは図書室だ。
作るのは簡単で、そういうセットが売っている。20$程度だった。
現実に図書室を作ろうとしたらいくらかかるだろうか。そう思うと相当に安い。
友人たちを招いてお祭り騒ぎする空間を借りるなら$20では足りないだろう。
図書館ではなく図書室を選んだのは、編集する面積が小さくて済むからだ。

VRで過ごせる空間を作る上でとても大切にしたかったものがある。
それが”居心地の良さ”だ。VRでもずっと立ったまま話すのは結構疲れる。

VRChatは面白い仕組みがあり、現実で座っていても立っているように見せかられる。
でも、長く話すなら座れる場所がいい。できれば立ったり座ったりが楽な場所がいい。
となると畳はけっこう便利だ。こたつなんかもいい。布団も気楽だ。

だから図書室には畳とこたつと布団を配置した。おまけにお茶と食べ物も配置した。
それは現実的ではない、行儀がよくないという人もいると思う。
でもそれは現実では制約があるからだ。

本当は現実の図書館だって食べ物や布団があったほうが過ごしやすいはずだ。
現実にないのは本が汚れるとかスペースの確保が難しい、維持費とかが理由だろう。
だがVRではそういう心配はない。おまけに収容人数は事実上無限だ。
だから理想をどこまでも追求できる。気に入らなければ、自分で作ればいい。
世界を簡単に作り変えることだってできる。

 

現実で居心地のいい場所は高いし混雑する

現実で家では集中できないからという理由でカフェで作業をする人がよくいる。
だが、作業してる人ばかりで肝心のご飯を食べるスペースがないこともよくある。
とても悲しいことだ。
こういう現象はより居心地のよい場所を求めている人が多いからだと思う。

そこでVRはこの問題を解決できるんじゃないかと思う。
VRでは広い部屋が必要とよくいうが、そこまで広くなくていい。
居心地よく仲間内でだらだらと話すだけならそもそも現実でも全然移動しないからだ。
作業などをしたいならなおさらだろう。

VRの世界は現実の制約があってしょうがない部分を取り払える。
費用の問題、掃除の問題、維持の問題。そういうものはVRでは関係ない。
おもちゃだとか現実的じゃないと感じる人は、まだVRの進化を知らないだけだ。

写真を現実的じゃないと感じる人は今の時代にはほぼいないだろう。
じゃあ写真を3Dで取り込んで再現したら?現実とほぼ変わらないだろう。
そういう技術は日増しに進化している。
AIの画像認識と同様に今後ハードウェアとともに3Dスキャン技術は進化する。

3Dスキャンした動画を空間として高精度で再現できてVRで飛び込めるようになる。
そこまでいけない理由は、いまのところない。
今現在のスーパーコンピュータと人間の手作業で十分実現可能だろう。

だから20年後くらいにはハードウェアはもっと進化して、お手軽に再現されるはずだ。
なぜなら20年前、こんな世界が来るなんて、
個人でVR世界を作れるなんて思ってなかっただろう。同じ未来がやってくる。

 

VR青空文庫の夢

つい先日図書室をアップデートして本を読めるようにした。*1
これは青空文庫の本を開いて読むことができる。
実際のところVRで本を読む必要性はあまりない。

うまくやればヘッドセットをかぶりながら現実で本も読める。*2
また自分の画面限定だが、他の画面をかぶせて見れるソフトもある。
今現在のヘッドセットでは解像度が低くて文字が読めないという致命的な問題もある。
でもVRで本が読めるというのは新しい可能性だと思う。

今回利用した青空文庫著作権がきれたものを電子化して収録しているサイトだ。
だが著作権の期間が延長されてしまった。
これから電子化されるはずだった本は、あと20年収録されない。
本当に大きな大きな損失だと思う。*3

www.itmedia.co.jp


自分も青空文庫になんらかの貢献をしてみたかった。
Code4Libなど青空文庫にはプログラミングなどで貢献する仕組みがある。
そういったものを読みつつ、自分もなにかできないかと頭の片隅でずっと考えていた。*4

そこで、これからは本を読むという体験に着目するのはどうだろうと。
VRでいっしょに本を読む、朗読する。これがいい。
本の形は自由でいい。大事なのは文字の形ですらない。体験だ。理解だ。
それをVRという最先端の技術で、より深く考えられるんじゃないか。

自分がやったことは青空文庫のなんの足しにもなりはしないだろうと思う。
でも、こういう空間が個人で作れる、もっとすごい人ならもっとすごいものが作れる。
だれかが少しやってみることで、新しい可能性が感じられる人が増えるんじゃないか。
それは決して無駄じゃないんじゃないかと信じている。

現実という絶対の評価軸がVRという新しい技術によって、新たな視点が得られる。
VRが単なる遊びから変化する。気づき始める。
今まで自分たちが生きてきた世界、価値観を違う視点から見つめられるようになる。
絶対の視点から、2つの視点を持つことで実は本質を再度確認することになる。

おわりに

その気になれば自分が思うずっと居心地のいい空間がもう自由に作れる。
だれかといっしょにすごす。同じものを共有する。
SNSのいいね、RTなどの文化から見ると、現代では大切なことなんじゃないかと思う。
VRChatはVRSNSとも一部では言われる。
人と人とのつながりが現実とは違った形で、新しい技術で結びつく。

別に断捨離とか現実の空間をシンプルに節約とかを言いたいわけじゃない。
ただ、第二の世界として居心地のいい空間として確かにそこに存在している。

まだVR機器は依然として高い。
そして今はまだ本が見えるほどの解像度のあるHMDは一般には普及していない。
でも数十年後、数年後には普及する未来が待っているかもしれない。
そういうとき、図書室があって、そこで本が読めたならとても素敵じゃないだろうか。

*1:https://booth.pm/ja/items/1313165 素晴らしくて、これだ!!とすぐに置かせていただいた。ここで感謝させていただきます!

*2:実際に朗読会がVRChat内で自分の知る限り定期的に2-3人の主催者が開いている

*3:志賀直哉作品を読むのを数年前からずっと楽しみにしていた…

*4:https://kayanomi.hatenablog.com/entry/2017/03/31/225355

うまくかかない

 

正直ネタに詰まって書くとき、語調が荒くなるときがよくある。
テーマにそって書こうとするけれど、だんだん荒っぽく批判的になりがちだ。
なにかしら責め立てるほうが論を立てやすいのかもしれない。
批判というのはなかなか楽なものだ。怒りは怒りに反応して燃えやすい。
だから文章を書く量はある程度確保できるのだが、精神に良くない。

 

自分がブログを書きたいと思う理由というか、最大の報酬は自分自身にある。
書いていて、ああよかったなと思えること、自分自身で救われること。
そういう経験があるから書き続けられる。誰に読まれなくてもいいと思っている。

それでも公開して書いていく理由は、文章をうまくなりたいという気持ち。
もう一つは、文章を書いて楽しかったという感情を伝えたい。
情報をまとめること、感心したこと、感動したこと。
こういうのは文章の中に情報としてたしかに表面上に書いてある。

でも一番伝えたいのは、一番曖昧なことだ。
それは書いている自分が楽しかったという気持ち。
もし読んでいて、ああこの人、楽しんで書いたんだなとわかってくれたならいいなと。

ある意味で書いている自分と読んでいる人、どちらも対等でありたい。
自分は読んでいる人にこう読んでほしいと求めない。対価も求めない。
読んでいる人もきっと自分になにも求めないだろう。

お互いに無関係に楽しければそれでいい。

関係がない、どちらも書く必要もなく読む必要がないのに何故かお互い楽しい。
それくらいがちょうどよく、心地いい。

 

だからうまく書く必要やかっこよく書いたり、いかにもわかったように書かないようにしたい。

 

まあたまに書いちゃったりして失敗したなあというものもある。
大目に見てほしい。そんな感じで今後もやっていく。

VRホラーはやってないのに怖そうだが、VR日常はなんてことないと思われがち

 

想像力の矛盾

VRホラーは想像だけでもとても恐ろしいと感じるだろう。
一方でVRで日常を過ごせると言ってもまったく良さが伝わらないはずだ。
現実でいいじゃないか、VRなんて所詮仮想。ゲームと何が違うのか。
現実との差はあまりに大きいと思うはずだ。
でもVRホラーはあまりにリアルそうで怖い。


よくあるこの二つの意見は矛盾している。
それは無理もない話だと思う。自分もかつてはそう思っていた。


VRで人と話すだけのゲームと聞いたらSecondLifeを思い出すだろう。
しょせん画面越しでやるだけ。少し綺麗な3Dポリゴンが動いているだけ。
スペックの高いPCで遊ぶゲームが、VRになっただけ。
たいしたことない。みんな大げさすぎると。そのうち消える。

でも実際にやってみて、そんな考えはあっさり吹き飛んだ。
あまりにVRは違った。
穏やかな風景。人々が賑やかに集まっている世界。
みんなゲームをやっているというよりも、それぞれがお話を楽しんでいる。*1

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CAFE SECRETGARDEN

 

居心地の良さ

VRでの日常というのはあまりにもリアルだ。
自分がそこにいて、体があって、相手と接することができる。触れ合える。
VRでの人殺しに嫌悪感が出るのとまったく同じ原理が働く。
気の合う人たちとのんびり話すのは、居心地がよくてすごく安心できる。
VRの日常のよさというのは、長い時間をVRChatで過ごしてみて初めてわかった。


”居心地のよさ”という感覚は従来のゲームではあり得なかったものだと思う。
その世界に入り込み、そこに自分が存在できる喜び。
日常としてみんなでお話できる空間。
修学旅行で暗い部屋で枕投げしたり、焚き火を囲んで話した思い出。
そういう時間がたくさんあった。

ボードゲームで遊んだりもできる。空も飛べる。サッカー…?もできる。
ボウリングだってできる。自分でゲームを作ってみんなで遊べたりする。

でも自分にとって長い時間VRChatにいたいと思ったのはゲームのおかげじゃない。
そこにずっといたいと思えたのは、本当に素敵な風景、空間がそこにあったから。

永遠に沈まない夕日、いつまでも見ていられる桜吹雪。
静かな月の下ずっと響くピアノのメロディ。*2

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BAR CLOVERCHERRY WINTERLODGE

そういう世界で、みんなが集まってのんびり話をしている姿。
人が居心地よく楽しそうに過ごしている。
それを後ろからそっと見る。そんな暖かな空間が本当に好きだ。

 

おわりに

VRChatの楽しさはプレイヤーで成り立っている。
焚き火が素敵な世界だってプレイヤーが作っている。
そこに集って素敵な時間を過ごす。
そういう世界が素敵だと思い、いつしか自分も作りたいと思った。
なんとなく居心地のいい場所。穏やかに過ごせる場所。

いくつか自分もVRChatで誰からもアクセスできる場所を作った。
図書室、食堂。学校の思い出の場所を作り、穏やかな雰囲気を自分なりに考えた。
自分にとって”居心地が良い”というのはとても重要なテーマだ。
それこそが自分がVRChatを続けたいと思う理由。


なぜ電子上の風景に”居心地が良い”と感じるのか。
自分で作ってみたり、人の作ったものを見て学びたい。
それこそが今後の未来、VR技術において実はとても大切なことだと思っている。
現実の代替ではない、人間の心、感情への新しいアプローチ手段だと思う。*3

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TWO OF US

 

*1:画像はMinaFrancescaさん作のワールド。音楽も自作で大変素晴らしい

*2:画像はMinaFrancescaさん作のワールド(二回目)。ここのピアノのメロディと風景が素敵すぎて本当にじわっと泣いてしまった

*3:画像はMinaFrancescaさん作のワールド(三回目)。ギミックもすごいけれど、ここは心が穏やかになれる本当に素敵な場所。