かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

コミュニティへの貢献

 

コミュニティへの貢献と資金の回収のバランスは非常に難しい。
しかしコミュニティへの貢献なくして支持は得られない。
ただ、無償の貢献ばかり期待すれば田畑が荒れてなにも収穫なくみんな滅びる。

もちろん、集金ばかりしていれば邪悪企業として嫌われる。
けれど邪悪企業は今なおずっと生きていることが多くて、これまた悩ましい。

gigazine.net

 

CentOSは長らく無償のLinuxとして開発で安定しているからと選ばれていたと思う。


CentOS7でいろいろ苦労した人も多いはずだ。自分はそれが若干嫌になってえいやとUbuntuで開発するようになったわけだが…周囲でもそんな人はそこそこいた。

ともあれそんなCentOSもフリーライドであると大本のRHELが言い放ったわけだ。
たしかにRHELの商業として売っているものとほぼ同等な安定したOSを長いこと使えるということは正直どうなんだ?と思わないでもなかった。
なんか安定しているからCentOS、で思考停止をずっとしていたからだ。

 

まあ突然打ち切ればコミュニティからの反発を招く。一方で、RHELを責めるのはお門違いでもある。本業に影響があるなら締め出さなくては立ち行かない。立ち行かないビジネスだとは思ってなかったのだ。

今どきはサブスクビジネスも増えている。今の時代の無償は、かなり品質が怪しく継続性に難がありそうなことが多い。サブスク=継続的な収益を持つ=安定性につながると評価されはじめているのではないか。もはや無償コミュニティだけで開発することは非常に難しい。

 

はてなブックマークのコメントの中にRedhatOracleっぽくなってきたというのが正直面白かった。Oracleはやはり邪悪なのである。けれども悠々と生き延びることができている。Microsoftも同じ。

コミュニティへの貢献をしてきた企業が買収され、統合して消され、邪悪企業がきっちり集金して世の中が回っていることを考えるとなんともいえない気持ちになる。

たしかに集金して事業継続性を高めるのは大事だ。金を払った顧客にきっちりと価値を出す。それも大切なことだ。それ以外は客じゃない、それも結構…。
もちろん貢献の気持ちとしてドキュメントだったりOSSが提供されることもある。よいことだ。そういうおまけ程度でもありがたく、余力だからこそやれることもある。

 

ただやっぱりインターネット文化、オープンソフトウェアの世界の素晴らしさは、ある。それをどうしても信じていたくなる。OSS文化は企業活動の出がらしのおこぼれで成り立ってはほしくない。なるべくバランスされて存在されてほしいものだ。

 

伽藍とバザール、そのバザール形式は終わりを迎えるのだろうか。そもそもコードを書く楽しさ、なにかを作る楽しさを共有して大きなものへと流れができていき社会を変えてゆく、そんな時代は終わりなんだろうか。

不景気になったからなのか、それともWebエンジニアってやつが金脈だとちやほやされ、かっこいいほげほげアプリで一発ホームランでサラリーマンおしまい、みたいなどうしようもない本に先導された一般人が屍を積み重ね続けているからか。

 

金も大事だけど、楽しいって気持ち、ものを作ることを応援する気持ち。
そういった素直さは邪悪さと真反対だ。そういうものが見れると、いいなって思う。
巷にはそういうものがそこそこ多くあるのかもしれない。
けど、SNSで流れてくるのは企業が広告として宣伝してたりするものだった。
金の流れは大きい。儲かると知ればさらに汚れてゆく。もっと儲けようと。

 

それに相対するのは、楽しい、自分で作ることの楽しさっていうDIYのよさ、コミュニティへの貢献だろう。そのバランスがうまくとれるとよいのだが、世の中が今後どうなるか。その世の中の流れには抗えないのか。

自分がものづくりをしていく中では、そのバランスをずっと忘れずに生きてゆきたいと思っている。そういう文化が好きだからこそ、エンジニアという職を選んで今も生きているのだから。そしてちっぽけな人生だけどちょっとでもコミュニティへ貢献したいと思っている。