かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

断捨離やミニマリストと備蓄について思うこと

 

少なめの生活

モノの少ない暮らしというのは憧れる。自分はいろいろ必要のないものをついつい買ってしまって溢れてしまうタイプだ。特に捨てることにはこだわりはないものの単にものぐさだから増える一方になってしまう。だから積極的に数を増やさないように、また自分の生活に何が必要かを見極めて生活する人はすごいと思う。

 

特に現代においてミニマリストなんて単語がいささかリッチなように見えるのは何故か。それについてネットの意見でコンビニやネット販売、インフラが充実しているからこそできる生活様式なのだというものがあった。確かに90年代なんかにそういった生活ができるかというと難しそうな気もする。近代に入って、PCなどが小型化し十分に情報社会として成熟したからこそ誕生した生活様式なのかもしれない。

 

その生活様式は同様に弱点を抱えているとも言われる。十分なインフラをもとにした生活様式だからいざインフラに致命的な障害が発生した時の備えが難しいのだという。ミニマリストとは贅沢や無駄を省いたものと言われるが、いってしまえば”遊び”がないことも意味する。

 

特に自分も生活していて考えてはいないが、モノというのも売れば金になる謂わば資産みたいなものである。困っている人に融通したり貸し借りなどで信頼も発生させることもでき、友人なんかも招けるのはそういった設備などがあるからでもある。それが無駄か、資産とみるか、どのように扱うかは人によって違うのだろう。

 

とはいえ片付けていない散らかった部屋というのは断捨離だとかの考えだと面積の無駄遣い、家賃の無駄遣いだとかお金に換算して説教される。まあ確かに正しく、自分の生活スペースに何パーセントほど家賃をかけたいのかということは考えてもいいかもしれないと思っている。地方にするのか、それとも首都圏にするのかなどもそれによってかわるのだろう。

 

おわりに

質素倹約とはいい言葉だと思う、が過剰に言い立てるのは明らかに美徳ではない。質素倹約などの節約系の話は人に無理に押し付けるものでも誇るものでもないと思う。ましてやそれを着飾るかの如くというのはもってのほかだろう。できれば仏教のごとく悟った人間がわーい悟ったーと言いふらしてなんで悟らないの?と街頭演説することがないみたいなものだ。

 

質素倹約とかそういったものはじっくり待つことじゃないだろうか。静かに説くこと、その静けさだとか物欲を嫌がった人々が吸い寄せられるものだと思う。だからこそミニマリスト最高!なんていうのはちょっと違うとは思う。こういったものはやみくもに宣伝してゆくものではなく、自然な生き方の一つ、そのうえで自己責任というものではないか。というか生き方の一つだからその目的と達成したいこと…いろいろ人生について悩んだうえで選択したほうが良いと思う。