かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ねこやいぬが苦手だけれど好き。ただ見るだけで…。

 

にがて

いわゆるペットとされるものが大変苦手な自分である。ねこやいぬは好きなのだけれど、いざ対面するとすごく苦手なのだ。特にたまにいる路上ねこは非常に苦手である。この生物は困っているのだろうか、腹が減っているのだろうかと判断できなくて困ってしまう。

 

一応あこがれはあって寂しいときに居てくれたらどれだけ幸せなことか…と思うときは幾度となくある。けれども逆にねこも寂しいときがあるに違いないと思うとつらいのだ。自分のせいで悲しませたりするようなことがあってほしくないからこそ飼うということはしないつもりでいる。

 

昔、雪の降る寒い日に小さな白猫がいたのを思い出す。なんとなく放っておけなくて、でも警戒しているようで全然近づいては来ない猫だった。特になにかをしてあげられることもできないし、何を与えたらいいのかもわからない自分だけれども少しそばにいたいなあと思った。

 

寒い日で雪が降る中でじっと10分くらいその場でただ立っていたと思う。本当になにもせずに、ただじーっと待っていて、ねこもしばらくウロウロするうちにこちらににじり寄ってきた。それでもお互いに何かをすることなく、近くにいてくれて、それでにゃーと鳴き声をそこそこにもらって嬉しかった。

 

本当は暖かい牛乳なんかをあげられればよかったのだろうけどそれで居つかれても自分には責任がとれない。だから何もしてあげられない、何のために、なぜ今ここにじっとしているんだ自分は…と悶々とずっと考えていた。

 

わりとこういう臆病な性格なのだ。何かをしてあげるにも臆病だから洗濯もできずにただその場で立っているくらいには…。人間相手にもたまにそうなることがある。その人の本当にためになるのか、自分がその人にしたことで責任はとれるのか…。そんな風に考えて動けない時はある。…器が小さいのか、自分は自分で手いっぱいということなのかもしれない。小さな動物でもきちんと世話できるほどの器になりたいものだ。

 

おわりに

www.netflix.com

最近Netflixで見てぼろぼろ涙をこぼしたのが彼女と彼女の猫という作品。猫の献身的な気持ちとその想いにどうしてもこらえきれなかった。何度となく見ても何度も泣いてしまうぐらいに鉄板なストーリーである。こういうものを見ると猫が飼いたいなとは思うけれど、という感じで今回の記事は書いた。そんな感じである。