かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

昔、高校の物理で感動したドップラー効果の話。自分で手に入れた真理と血肉化について。

 

ドップラー効果をご存知でしょうか。救急車が遠くからやってきて、目の前を通り過ぎる際に、音が変化する現象が有名な例です。こちらに音の発生源が近づく場合、音が高くなり遠ざかるにつれて低くなる現象です。

 

高校の物理で学んだこの現象をある日、なんとなく眺めていて暇だからと遊んでいたら非常に面白い体験をしました。私は物理が尋常じゃなく苦手でしたが、自分でつかんだこの現象への理解は一生忘れないだろうと確信しています

 

なぜならこれはショーペンハウエルが読書についてで述べている”真理”に近いものだと思うためです。いやいや真理なんてさすがにおこがましいかもしれません。けれども自分の中で血肉として生きた知識という意味で”自分の中の真理”ということにしたいと思います。

 

ドップラー効果基礎

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身近でよく耳にする現象です。高校ではこの現象を波について学ぶ際に紹介されます。テストで解いたこともあると思います。ひとまずここでは難しい公式を出すのはやめておきましょう。

 

ドップラー効果の肝になるのは、波の発生源が移動すると移動方向に波が密になり、反対方向は疎になるという所です。移動しない場合は同心円状に広がっていくため、どこから聞いても音の高さは変わりません。しかし移動によって疎・密の部分ができることで音の高さが変化するのです。波が密集するということは周波数が高いことを示し、波が疎であるということは周波数が低いことを示します。

 

自分で疑問に思ったことを試して感動

ドップラー効果3 ■わかりやすい高校物理の部屋■

上記のサイトの絵のほうがきれいですが、一応自分でも描いてみました。絵心はない

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波の発生源が動かない場合、同心円状に波が広がってゆきます。

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しかし波の発生源が動いた場合、波の分布に偏りが発生し、疎密が生まれます。これがドップラー効果ですね。

 

さて、ここまで高校生の頃に描いてみて、ふと疑問に思ったのです。この前方の密度を詰め込んだらどうなるのかな?と。敷き詰めれば敷き詰めるほど密の部分が厚くなっていきます。なんだか膜のように見えてくるのです。壁かもしれません。なにかに阻まれているかのように…。

 

そこでハッと気付きました。これって、いわゆる音速の壁じゃないか!?と。超音速の航空機がマッハを超える際にシュバッと三角錐の雲のようなものが見れたり、衝撃波・爆音を伴います。いわゆるベイパーコーンとかソニックブームです。

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これをなんとなくゲームで予習していたので非常に興奮しました。まさか…ひょっとするとドップラー効果から導けるんじゃないか!?と。

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波の発生源が、波が進むスピードよりも速く移動した際に接線が引けるようになります。これがあの空気の壁じゃないか!と非常に興奮しました。そして音速340m/s。この速さを超えれば音の壁を破れる。それがマッハの世界と結びつくんだ!ととんでもなく興奮していました。自分ひとりでここまで繋げられたこと、たどりついたことに感動したのです。

 

厳密に解説しだすと大気圧とかいろいろ関係して複雑になってしまい、専門家からも全然ちげーよと言われそうな気もしますが、自分にとってはこの理解が非常に楽しかったのです

 

自分がなんとなく疑問に思って、なんとなく発生源が波の速度を超えられたらどうなる?ということを実験し、その結果から驚くような事実に到達できた喜びが私にとって最も重要な体験でした。

 

自分で掴んだ真理の重要性

rodori.hatenablog.com

だれでも次のような悔いに悩まされたことがあるかもしれない。それはすなわちせっかく自ら思索を続け、その結果を次第にまとめてようやく探り出した一つの真理、 一つの洞察も、他人の著わした本をのぞきさえすれば、みごとに完成した形でその中におさめられていたかもしれないという悔いである。けれども自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍もまさる。-ショーペンハウアー『読書について』P9

まあ思索とまで驕ることはできないかもしれませんが、少なくとも教科書に書いてあること、その文字や公式を暗記することでテストで点は取れます。しかしながら、自分で獲得したと感じられる体験をすること。それが自分の中で血肉化することだと思うのです。

 

kayanomi.hatenablog.com

自分で引用するのもなんですが、先日のエントリに書いた戦術本が何故自分にとって記憶に残りづらいのか、そして実感がわかないのか、応用が利かないのかという話にもつながります。もしも自分の中で高精度なシミュレータを脳内で展開できるとしたらこういったゲームは必要ないと思います。ゲームでやるよりもよっぽど状況やパラメータを変更して思索にはげむことができると思います。

 

しかしゲームなどの強烈な直接的体験をもとに感じた自分の印象をうまく言語化し、それを消化することで血肉化できるだろうと考えているのです。自分の中で生じた不確かな体験をもとに思索することで、ただの活字だったものが急速に体の感覚へとしみこんでいくと思うのです。故人や描かれる情景に思いを巡らすような、自らの感情を活字で得た知識の中に自分で含めるような作業が血肉化には必要ではないかと思うのです。

 

おわりに

思うに知識はただ単体では機能しないと思うのです。それではただの点に過ぎない。そしてそれを繋げることが自分の中で自由にできない限り血肉化されていない、教養と化していない、知恵と化していないと思います。ある意味ネットワークのようなものです。インデックスされていない知識はどこからも参照されません。タグ付けが少ないほど参照される確率は低くなり、検索性が落ちます。

 

この暗記しただけや本で読んだだけの知識を血肉化する作業こそがシミュレーション、実験だと思うのです。そこにある知識という点を動かして、自分の中で衝突させる作業です。様々な自分の内側の断片化した知識や血肉に対して化学反応させるような所業です。新しいタグ付けや重要度を自分でつける作業のようなものです。ラベリング…とは少し違う重みづけのようなものでしょうか。

 

例えばこの記事ですが、ドップラー効果ショーペンハウエルの読書についてが結びついています。自分の中で経験したドップラー効果に対する自分の中で真理を掴んだように感じた体験と読書について書かれた文章の中の断片と共鳴したというわけです。そしてMount & Bladeで体験した騎兵の恐ろしさの理解もまた自分の中で真理に触れたのでは、と思っていたからこそ繋がるのです。

 

こうした自分の中で形成され同じようなタグのついている物同士が日常で見つけた些細なことや突然思い出したことに反応して掘り起こされます。その時に感じた体験や感動を少し伝えたいなという気持ちと自分の中で再度整理をしたい思いもあり、私はこんな記事を書いているわけです。…あんまりうまく言語化できていないようなまとまっていない記事ですが、それは自分がまだ未熟だという証左でもあります。これからも記事を綴って自分の内側を言語化することで、より深い思索を楽しみつつできればいいなと思います。