かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

よく人から隠れる行為をしてしまうことについて

 

悪気はないけど…逃げる

自分はよく向こう側から来る人とか自分の行く先に知り合いがいるとつい隠れたくなるし、実際隠れたりしてしまう。これのせいで印象が悪くならないことを祈りたいのだが…。別に話したくないわけでもないし、嫌いなわけでもない。ただ気まずいし何よりすれ違いという一瞬で気が利く一言だとか…そういうコミュニケーションのコストが高く感じられるから嫌なのだ。

 

かなり内向的な気質を持つ自分は人との会話にはかなりの神経を使うことになる。相手のテンションはどれくらいなのかとか表情だとか。自分はどういった反応をすればいいのだろうか、なんて考えちゃったりもする。だから突然ばったりと出くわして挨拶とか軽い立ち話なんていうのはアドリブに最も近いので非常に避けたいのだ!

 

会話が最も苦手であることはわかっているので普段の会話などでも事前にネタだとか相手の情報なんかを仕入れてうまく適当に乗り切ろうと頑張っているのだ。そうした中であまり予期しないタイミングや心の準備ができていない時、シチュエーションが読めない時は人と会いたくないのだ。うーん、書いててこれが本物のコミュ障だと言いたくなるような気がしてきた。

 

こういったことをまったくわかってくれない人は多いと思う。「なんで?そこまで考えなくても適当に挨拶すればいいじゃん」と軽く流す人が大勢だと思うが…。残念ながら生まれた体質からか、何事もじっくり考えるタイプの人間が内向的という奴なのである。だから何事もいろんな情報を受け取って一喜一憂をしてしまうから、相手にも最大限配慮するようになるのだ。内向的なタイプで神経が図太い人はなかなかいないように思う。

 

ゆっくりと場を読む

それに加え自分は人と話すときは完全に相手を楽しませたいと思う側の人間だ。サービスする側みたいな意識である。これは…自分の過去の失敗から臆病になっているためでもある。あまり自分から話しかけたりわがままを言ってうまく言った経験はほとんどなかったからだ。悲しいことに。自分から誘ってみると全然つれない態度をとられたり、はたまた無視されたりと…。ともかく自分からのアクションはてんでダメなのだ。

 

そういう意識があると人と話すときはどれだけ相手を楽しませられるか、みたいな意識になってしまう。非常に言い方はあれだが、ようは捨てないで的なやつだ。書いててすごく悲しくなる。まあここまで極端に思っているわけでもなく、もちろん自分もいっしょにいて楽しい人を選びたいし、なにより相手が楽しいと自分も楽しいからWin-Winと思っている節もある。相手がつまらなきゃ楽しくさせたうえでこっちも楽しもうという魂胆である。

 

ともかくそういう精神でいるとすれ違いや立ち話はすごい苦手だ。短い時間でどれだけ相手を楽しませるかなんて難易度が高すぎる。おまけに事前情報もゼロだとかなり難しい。ある程度場を読んだうえで戦うタイプとぶっつけ本番に強いタイプ、これがきっと内向的と外向的なタイプのコミュニケーションの違いなんだろう。

 

別に人と話すのは構わないのだが、その場合は2~3時間くらいじっくりと深く語り合いたいと思うタイプなのだ。そうすると短い会話だとか薄い会話の積み重ねなんかだと本領を発揮できずに失敗体験が重なっていくのが嫌なのだ。それを何度もチャレンジすればきっとできるようになると言われてもなかなかつらいものがある。そんな感じである。

 

おわりに

就活の対策本では自分が苦手なものを分析して何故苦手なのか、そのうえで強みに変えられないかと書いてあることが多いんじゃないだろうか。とはいえ過去の古傷に当たっちゃったりいいことなんにもないぞと妙に悲しい気分になってしまうことも多い気もする。

 

ただ苦手なものをそういうものと冷静に分析できるとなかなか面白い。自分でも人と会うのなんだか苦手だなあと思っていたのだけど、今回記事にしてみるとあー、どうすればいいのかわからないまま始まってすぐ終了するのってすごいストレスだとわかった。さらに反省会などを開いてしまうので余計にダメージだ。そうするとまず出会いから避けようとするのはなんとなくわからないでもない。

 

わりと自分のことでもやもやしていたのだけれどこうして書いてみて少しすっきりした。まあ苦手なことは何が苦手なのかわかった後で自分なりに対策していくのが一番良いだろう。何年たつかはわからないけどいつかはちゃんと逃げずに対応できるようになるといいなと思う。