かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

自分で考えるとは大方針を細かく分割することじゃないだろうか

 

自分で考えるのに必要な情報

自分で考えろ!といわれて「えぇ…?」と戸惑ってしまう。自分で考えていろいろやるにはやっぱり方針が一番大事なんじゃないだろうか。方針がきちんと理解されていなかったり曖昧な理解だったり、そこがすれ違ってしまっていると最終的にまったく違うものになってしまいがちだ。

 

方針といっているけど、方針の中にはゴールも含まれていると思う。ここまでやったら達成みたいな目標の到達点だ。そのあとでどういった方法でそのゴールを目指すのかということをきちんと把握しなくてはならないはずだ。その方法を決めるには様々な環境の問題だとかが入ってくる。

 

例えばお金がないから新しいものを使わないようにして使いまわすとかこの日までにやっておかないと後がどんどん苦しくなってしまうとか。目標達成までに危険なルートの情報だとか装備品の確認みたいなものである。これがわかっていないと危ないルートを通ってしまうなどに陥ってしまう。

 

そこまでの情報がわからなければ自分で考えることはできないだろうなと思う。自分で方針を立てることができれば「自分で考えること」に対しての問題は起きにくいとは思う。もちろん方針の立て方が甘く、ゴールが現実的ではなく、方法を決めるための知識量が足りなければうまくはいかないだろう。

 

出発点

そうではなく上からのお達しで何かを進めざるを得ない場合、まずは正確に方針を調べつくさないと自分で考えることはできない。なぜかたまに方針を出し惜しみしてしまう人もいたりするが、基本は何度も方針を伝えなくてはならないと思う。すべての出発点というかよりどころになるものだからだ。ある意味信念というか…それをやるうえでの原理原則である。

 

ただルールづけではなく、○○しないとかではなく、○○をしない理由は○○にしたいから、とか○○だから仕方なく、みたいな感じなんじゃないだろうか。そういったあいまいな形だけどしっかりしたものを他人とも同じ形で共有できるかが大切なんじゃないかと思う。

 

自分で考えるということには最後に方針と照らし合わせてみて大丈夫かを検討することが必要なんだと思う。もしも方針と照らし合わせられないのなら自分の答えに自信なんか持てるわけがないし、よりどころもないから出発点すらつかめないこともある。

 

大きな問題は小さく分割せよという格言があるけれど、自分で考えるとは大きな方針について自分で細かくして達成しようとする行為なんじゃないだろうか。もし方針がなければ分割もできないし、そもそも何をしたらいいのかわからなくなるのは当然だと思う。

 

だから大方針を伝えずに分割したものを渡されても難しく感じるのではないだろうか。まずは大方針をどのように分解したかを教え、そのように分解できた理由を語ることが必要なんじゃないかと思う。