すぐには飲み込めないこと
最近になって”自分とは食べ物でできている”ということに納得し始めた気がする。自分とはいったい何者か?実は当たり前なのだけれど、すぐには飲み込めないのが”たべもので出来ている”ということだと思う。毎日何気なく食べているものは栄養補給だけと思い、自分はすでに完成されているかのように感じることも少なくない。
けれど実際には自分の体は今もなお食べ物で作られ、補修され、改善されている。じゃあ自分の思考はどうなんだろうか?ちょっと怖いかもしれないけど、思考だって食べ物でできている…というのはあながち間違いじゃないはずだ。こんなことを続けているとすべての物は原子で…みたいになるが。
ともかくとして自分の思考が食べ物でできているとするなら、やる気とか習慣だってもしかすると食べ物でできているかもしれないのだ。例えば布団から朝だらだら出られないというのはやる気の問題や、前日夜更かししたからではなく日ごろ口にするものが偏っているからかもしれない。
ちゃんと夜寝て朝起きるということにも自律神経が整っていないとリズムが崩れがちになる。自律神経を整えるには運動をほどよくするとかいろいろあるかもしれないが、一番は身体の機能として栄養などが足りていない事には始まらない。つまり食べ物をなんとかしないといけない。
思考と身体は別じゃない
自分は今まで体と思考はまったく別だと思っていた。朝起きるのがつらい?それは根性がないから、だらだらしたいだけと自分の思考の元気のなさを責めたりする。けれど、それはむしろ体調上致し方ないことで、実は栄養が足りていないから引き起こされたのかもしれない。
案外だらだら何かを続けてしまうとかやめたい習慣があるときはまず食べ物を変えたほうが良いのかもしれない。人間にとって一番根幹となっているものは意志ではなく実は食べ物かもしれないのだから。