かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

食わず嫌いの読書バージョン、読まず嫌い。ひょっとして自分に向けた本じゃないと思ってるからでは。

 

勉強の哲学が自分向けだとは思わなかった

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

Twitterで勉強の哲学が高評価のようだ。読書メーターなどのサイトでもたくさんのレビューが投稿されていて盛り上がっているのかもしれない。当初売り場で見かけたのだけれど、サブタイトルの「来るべきバカのために」というフレーズにうーん…という気持ちを抱いて立ち読みすることもなかった。「バカ」が入った書籍は「バカの壁」などを思い出すのだけれど、自分にとってちょっと苦手なジャンルだ。

 

第一「勉強」+「哲学」だからちょっと受験系の根性論が入ってそうという偏見もあった。教育ママ向けのちょっと過激な本もあることだし…。まあ実際にTwitterで流れてきた本の感想を読んでみたら全然思い込んでいたのとは違った内容だった。しかもブログをやっている人にオススメですよ、と言われてしまったので買うしかない…とちょっと反省して買って読んでみることにした。

 

”読まず嫌い”を解く作業

本の導入から読んでいくと独自の理論を一気に展開されてしまい、ちょっと受け入れづらいな…と思っていたのだけれど読むページを増やしていくと徐々に飲み込めるようになってくる。だんだん著者が出している例文や説明を自分の中に取り込んで理解できるようになってきた。

 

この著者が言っていることはひょっとすると過去に体験したり思考していたことに当てはまるんじゃないか。著者が表現したかったことと自分が漠然と思っていたことが、だいたい同じものを指しているんじゃないか…?と思えてくると、ここから先にこういうことを説明してくれるんじゃないか?とか思えてくる。なんとなく話したい内容のテーマがわかってくる。

 

このテーマや言いたいことの柱がおぼろげながら見えたときにようやく読まず嫌いしてたな…と反省するに至った。おそらくここまで到達しない限り、読まなくてよかったとかもしくは自分には当てはまらない本だと見向きしなかったかもしれない。まず冒頭を読んで、自分に向けられた本なのかというのをきっちりと把握できない限り読み進めるのには何らかのモチベーションがいる。読み進めるのに抵抗があるのはしょうがないんじゃないだろうか。

 

おわりに

”読まず嫌い”になっている読者というのは、自分に向けられていない本なんじゃないか?という疑いが心の中にあるんじゃないか。その疑惑が確信に至ってしまうと本を手にする機会は失われてしまう。けれども他人から”あなたに向けられた本ですよ”と教えられた時に、自分に合う本なのかを確かめるという作業に入る。そこからハマるかどうか…ということになるのだと思う。ある意味、著者に対する誤解を解くための作業と言えるかもしれない。