かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

習慣と嫌いの境界線

日々楽しく聞きたいものだ(NovelAI)

行き過ぎた日課

Vtuberの切り抜きを見るのは時間がなくなりすぎるので、英語版ならいいだろうと考えた。英語は得意ではないし、どうせなら勉強になる使い方をすればいいと。

ところが勉強にはならず、単に海外のVtuberがいかに面白いかがわかっただけだった。
英語は嫌いにならなかったけど、単になにか面白いものを見る習慣が変わっただけ。

 

受験生のころ、英語を覚えるためにひたすら英語漬けの日々を送ったことがある。
当時は全身全霊をかけていた。ゲームも娯楽もすべて禁止した。
机に自分を縛り付けた。しかも物理的に。(じゃないとふらふら逃げ出す)

そして英語のリスニングCDをエンドレスでかけ続けた。もちろん、寝ているときも!
で、どうなったかというと英語が本当に嫌いになったのだった。トラウマ化した。
まあ苦手なものを一気に大量にやるのはよくないわけだ。

 

似たようなことで、新入社員だった頃に通勤時間の有効活用として英語ポッドキャストを聞いたりしていた。が、これも会社に行きたくない気持ちが100倍になっただけだった。そりゃただでさえ出勤がつらいのに、その中で勉強なんてやってたら苦しむだけである。

 

ほかにも朝の目覚ましを好きな音楽にしていたら、嫌いになったことがある。
好きな音楽が「朝むりやり自分を起こす音」になってしまったわけだ。

 

うまくいくものもある

一方でパソコンのデスクトップの背景画像を円周率にしたことがある。
これはなんとうまくいった。負担が少なかったからだろうか?
今でも円周率は20桁ぐらい言えるようになった(それ以上は面倒だった)

 

なにが違うんだろう?自主性だろうか?
トイレに周期表とかを貼ると覚えるというのもあった気がする。実際に覚えたし。

なにか名前とかあるんだろうか。ゆるーく覚えられるなにかがあると便利そうなのだが。