かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

IoTを利用するとき我々もまた利用されている?

 

ちょっとこわい

Internet of things 、略してIoTだけれども要は様々な電子機器などが便利にいろいろな情報を提供してくれるという仕組みである。これまでは手に入りにくかったり、はたまた見えてこなかった情報を取得して実生活に役立てようという話だと思う。

 

例えばエアコンの稼働時間や電気代をスマートフォンで見るなど。もしかするとすでにあるのかもしれないが、そういった身近なものの情報をばんばん集積するのだ。つまりは欲しい情報によりアクセスしやすくする、いままでアクセスできなかったところをアクセスできるようにすることこそIoTなんじゃないか。

 

ただ今まで入手できなかった情報を入手するということは、反対にIoTにも情報を与えていることになる。つまりこのユーザは何時何分にこういう情報を欲しがった、とかこのユーザはこういったデータに関心があり、逆にこういったデータには関心がない…。情報をもらおうとすれば、その情報を逆に取得される。作用反作用みたいで当たり前かもしれない。

 

Webサイトはすでにそういう仕組みになっていると思う。ユーザが望むにしろ望まないにしろ、様々なサイトにはトラッカーが入っていて何時何分に匿名の誰かが何分間、そしてどこのリンクを踏んだかなどが記録されている。Webサイトならまだいいかもしれないが、IoTになったときが少し怖いように思う。

 

企業はユーザがどのようなデータを欲しがるのか興味津々だ。そういったデータを提供できれば新しい製品開発はもちろんのこと、むしろユーザが欲しがったデータには価値があると見做して匿名化した後に別な企業に売り出すかもしれない。だからこそある程度詳細にユーザがどのように使用したか興味を持つ。

 

例えば今、自分がエアコンの電源を入れ電気代や部屋の温度変化を取得したとする。深夜のある一定の時間帯に電源を入れておやすみタイマーをかける。途中で暑くて起きてしまったので再びかけなおす…。そうするとどれぐらい寝ていたのか、途中で起きたのか、何曜日にどのくらい寝ているのか。もしくは部屋に日中どのくらいいるのかなど…。

 

IoTという情報の出入り口が自分の身近になればなるほど、知る情報も多くなるけれど知られる情報もどんどん増えていってしまう。もしかすると自分が気づかないうちに得られる利益よりもずっと大きなものを見知らぬ誰かに与えてしまうのかもしれない。

 

おわりに

深淵をのぞくものは…みたいなものを少し思い出してこんな記事を書いた。現代ではもしかすると本を読むスピードや注目してるポイント、もしくは積み本となっている確率、どこで読むのを投げ出したか…そんなデータも採られてしまっているかもしれない。悲しいのは今やっていないからたぶん大丈夫ではなく、いつかとられるかもというちょっとした不安である。

 

インターネットは世界中のどこへでも瞬時に情報を運ぶ素晴らしい網であるが、それゆえに世界中どこでも誰でもささやかな情報でもすぐに伝達されてしまう。それも大量のデータでさえも瞬時にだ。これから個人の情報はよりたやすく入手できるようになってしまうんじゃないだろうか。