FOMO、fear of missing outという略語をたまたま見かけた。
意味は見逃すことへの恐怖、とりのこされるかもしれない恐れ。
SNS依存症をしめす言葉だ。自分が見ていない間のタイムラインが気になる。
重要な情報を見逃していないか、不安になりいつでも見てしまう。
見逃すことによる機会損失が怖い。
なんとなく学校でテレビの番組の話についていくために見るようなアレだ。
タイムラインをきちんと見て、話題についていきたい。流行を知っておきたい。
太古からそういうことはあるのかもしれない。
村社会の情報はあっという間に伝わる。知らない=のけもの扱いだからか。
仕事でも部下の仕事は逐一知っておきたいという人がいる。
なんでも報告がほしい、会議にたくさん出る、決定は自分がする。
自分の見えない範囲で部下がなにかをしていると不安になる。
構造としては同じかもしれない。
自分にもこの見逃すことの恐怖というのは該当する。
Twitterに限らずだ。たくさん本を読まないと不安になる。
ネットの世界の情報を知らないでいることが怖い。
だから毎日、何回も確認している。時間を考えたことはない。
自分がなぜ時間つぶしに情報を欲しがっているのか。
その動機は楽しいからだろうと思っていたが、納得はしていなかった。
だが、この見逃すことへの恐怖という言葉がしっくりきた。
ネットの世界においていかれるのが嫌だった、怖かったのだろう。
この怖さについて克服するのはけっこう難しいと思う。
ネットを遮断して数週間暮らしてみて悟りを開くのか。
まるで依存症の治療のようだ。実際そうなのかもしれないが。
もう一つは時間を決めて効率化すること。
ビジネス書によくあるメールとかニュースを効率的に…というあれだ。
返信する時刻を決めるとか、一箇所に情報を集約するとか。
最後は見逃すことを受け入れることだ。
どれだけ頑張っても情報は見逃すものだ。
というか本当に欲しい情報はなんだろうか?
それを考えずにとにかく欲しがっている。無料だから。
有料だったらこれほどだらだらと時間をたくさんかけたりはしないだろう。
無料でだれかの、ひょっとしたら役に立ちそうな情報を探す。
無料であるからこそ、効率を考えはしなかった。時間つぶしでもある。
コストの考え方が間違っていたのかもしれない。
無料(0)かける時間=0みたいに考えていた。言い訳だったかもしれない。
これが研究で文献探しだったら到底そんなことは考えないだろう。
少し反省して自分の時間の使い方を改めて考えたい。
大切なのは自分がいったいなにに時間を使いたいか?ということのはずだからだ。