現実はやはりすごい。雨風の汚れもとても美しい。
神社の屋根をじっと眺めていた。屋根の木、垂木と言うがその先端は白い。
端々には金色の金具がついていて、格子状に編み込まれている。
下に目を向ければ石畳が美しく、敷かれている玉砂利も見ていて飽きない。
現実の神社を見ながら神はディティールに宿るんだなあとしみじみ思った。
自分で3Dモデルを作ったらこうはならないだろう。
よーく見ると細かな部分がたくさんある。使われている木材は端々で少し違う。
金具の部分には細かな意匠が施されている。
大昔はどうだったのか。数千年前に誰かが荘厳な建物を作ろうとしたとき。
技術が未熟なときには、神は宿っていなかったのかもしれない。
誰かがディティールを突き詰めたとき、多くの人が神が宿ったと思ったんだろうか。
細かさ、ディティールは意外と人間の直感に訴えるものだと思う。
数ヶ月前、自分の作ったプログラムで障害が起きた。原因は考慮不足だ。
めったなことは起きないだろう、そう思っていたが実際に起きた。
ああ、ディティールが足りなかったんだなあと思う。
プログラムに神は宿らない。建築も同じで、スピリチュアルなものはないだろう。
ただ建築もプログラムも少し似ている。手を抜くと安全が損なわれる。
細部にまで手を入れて安全を願って作られたものは、長続きする。
もともと垂木の先を白く塗るのは、ひび割れや腐食を防ぐためのものだったらしい。
玉砂利は水はけをよくするため。金具はもちろん保護のためだ。
芸術的要素もあろうが、大事なのは建物の機能を長く、損なわないための技術だ。
それこそがディティールで、人に安心感を与える。畏敬の念を感じさせる。
神社に行くと気が引き締まる。デジタルなデータを扱う職業だが、建築を見習っていい仕事をしなければなと思う。