かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

格闘ゲームをやめたときの話。格闘ゲームで全部欲求を満たす必要がなかった。自分は遊び人族ドリームゲーマーでした。

 

格闘ゲームにものすごいハマったことがありました。カッコイイ技とコマンドを繋げて相手をボコボコにする気持ちよさが病みつきでした。一日中練習しても飽きず、フレンドと朝日が昇るまで戦いあうことも茶飯事でした。オンライン対戦もあれば無限に対戦相手と遊ぶことすらできます。

 

私自身の腕は全くと言っていいほど、へっぽこでした。*1 ですけれど、初心者に混じったり中級者と仲良くなって戦ったり、アーケードで無謀にも乱入したりと楽しい時間を過ごしました。

 

またゲームシステムの研究も盛んにやりました。一時期はキャラクターのフレームすら暗記していました。活かせた試しはありませんが、それでも細かく調べることが勝率につながると信じていたのです。何よりゲームに対して理解を深めることが楽しかった。

 

しかし私は格闘ゲームをさらに極めるどころか、ほとんどやらなくなってしまいました。自分が格闘ゲームに向いてないし、やる理由もなくなってしまったからです。

 

なぜ辞めたのかについて今日は説明いたします。

 

格闘ゲームにハマったきっかけ

ある時ゲームセンターで、ひとつのゲームを見かけました。そのキャラクターの出す技に見とれました。一瞬で連撃を叩き込む技です。素早く懐に入り、かっこよくコンボを重ねていく。その姿に見惚れつつ、自分には絶対出せないだろうなと思っていました。

 

なぜなら難しいコマンドを秒単位で正確に撃ち込まない限りカッコイイ技は出せないと思っていたのです。レバーをおもいっきりガチャガチャやってる印象に恐怖を抱いてました。

 

しかし、どうにも気になります。おまけにフレンドがプレイしていたので練習を始めました。すると、自分がカッコイイと思っていた技が超初級技だったのです。そんなバカな…。みんな難しいコマンドをたくさん出してると思ってましたが、案外そうでもありませんでした。

 

そして初心者御用達の簡単コンボを覚えると、ストーリーモードのCPUは軒並み倒せるようになりました。きっちり焦らずコンボを打ち込むだけ。こうして少しずつ格闘ゲームへの自信がつきました。

 

スマブラと比較してわかったこと

だんだんと格闘ゲームにハマっていくうちに、わかったことがあります。

 

私は大乱闘スマッシュブラザーズが好きでした。そしてその好きだった部分が格闘ゲームの要素にマッチしていたのです。逆に言えばスマブラ格闘ゲームの格闘部分を優しく抽出したゲームだったので、スマブラの格闘が好きならば格闘ゲームにも適応できるのは当然でした。

 

スマブラにはプレイヤーによってはアイテムの是非が話題になります。アイテムは邪道、対戦がつまらなくなる、運ゲーになるから嫌だ、実力で勝負すべき、もちろんステージは終点だという派閥。逆にアイテムこそスマブラの楽しさ、パーティーゲームだと。初心者の一発逆転やステージギミックを活用してこそ真のスマブラ強者だという派閥。

 

私も昔はアイテム無、ガチ派でした。*2 もちろんステージは終点でひたすらに殴り合う楽しさが好きでした。

 

さて、スマブラに習熟していると”この距離は当たる”とか”この当たり、ダメージならまだ大丈夫”という感覚が身についてきませんか?

 

例えばピカチュウのしっぽのリーチやかみなりの当たり判定を、なんとなく体が覚えていませんか?また当たったとき、どの方向にふっとぶか。逆にふっとばしたとき、どのように復帰するのか。そういったキャラクターに対しての無数の行動パターンが染みついて、徐々に先読みできるようになると思います。

 

そうしているとキャラクターの制空権というか行動範囲、危険領域のようなものを実感できるようになると思います。この距離は安全で、この距離はちょっとヤバイとか。この感覚の鋭敏さが、いわゆる間合い管理というものです。

 

これを私は格闘ゲームをやる前から非常に好んでいました。各キャラクター固有のリーチに加えて、プレイする人物の攻撃性やパターンなどを加えて、どのように戦うかを考えて先読みし、互いに競うのが最も好きだったのです。

 

この間合い管理、そしてプレイヤーのスタイルの読み合いこそが、私にとって最も楽しい部分だったのです。

 

格闘ゲームへの悩み、疑念

どんどん対戦をして、練習を重ねていましたが徐々にイライラし疑念が高まっていきました。それは、強い人は複雑なコンボで大量にダメージを与えつつ、ミスをしないということです。そしてミスをしないためには練習するしかない。その練習量はあまりにも膨大です。その時間をただゲームに勝つために費やせるのでしょうか?

 

そして格闘ゲームの十八番、起き攻めという戦法への疑念です。この戦法では読み合いというものが成立しにくく、俗称で”ジャンケン”と言われます。これは格闘ゲームの勝敗をゲームで決めるよりもジャンケンで決めたほうが早いという揶揄でもあります。つまり、あまりにもランダム性が高く、ミスをしない限り人為的なものが介入しないということです。対戦する意味そのものがあるか?ということです。”そんなに勝ちたいなら一人用ゲームでもやってろ!”とかいう捨て台詞すら吐かれます。

 

また、キャラクターの技の性能が良すぎて読み合いをしなくても圧倒できてしまう、もしくは練習量がなくても容易に勝てるという問題もよく起こります。キャラクターのバランスが悪く、そのキャラクターを使うだけで相手が戦闘を放棄するということすらあります。こうしたことが起こると互いにヘイトが高まり、場外乱闘になりやすくなります。

 

このほかにも格闘ゲームには様々ながありますが、代表としてはこのようなものだと思います。

 

こういったものを格闘ゲームをやっていくなかで向き合ってきました。いろいろ悩みましたが、自分なりに答えを出すと非常にすっきりして、それ以来格闘ゲームへの執着を捨てることができました。今では楽しくやるだけのエンジョイ勢と化しました。そしてそれでいいと自分を肯定できます。

 

その1:かっこよく技を決めたい、コンボかっこよく出したい!

初めて格闘ゲームに触れたきっかけはカッコイイ技をだしたい!ということでした。そしてカッコよくコンボを決めて勝ちたい!ということです。

 

この欲求は、対人戦じゃなくてよかったのです。CPUでよかった。言葉にすればあっけないですが、そういうことです。もっとかっこいい技を出したいなら別なゲームをやればいいのです。何も一つのゲームで全てを満足しなくていい。もっと爽快にかっこよく敵を倒したいなら三国無双でも龍が如くでもいい。そこは自分の欲求のハードルをさげるべきでした。

 

その2:でも…でも、対人で勝ちたいです!先生!

格闘ゲームで味わうカッコイイアクションや必殺技は別なゲームで満たすとしましょう。では残りの部分は…。そう対人戦です。

 

どうせなら対人で勝ちたいし、カッコイイコンボを決めてどや顔したいのも人間の欲求です。どうしたらいいんでしょうか。膨大な自分の時間を格闘ゲームにつぎ込んで血のにじむ努力をするべきでしょうか?

 

これに関する私の答えは、自分にとって苦手な分野で読み合いをやろうとするのが間違ってるということでした。

 

私が理解した格闘ゲームの本質は、いわば一分切れ負け将棋みたいなものです。将棋の長考をなしに、駒を乱雑でもいいから素早く叩きつける瞬間の判断もあるスポーツ性のある戦略ゲーム。カードゲームやボードゲームなどと読み合いの本質は同じだと感じました。キャラクターの持つ体力、技、そして自分が持つコンボなどのカードを持ちつつ、相手の出した行動に対して瞬時に選択する能力。この時自分のもつコンボというカードの成功率やダメージを高めることが重要になります。

 

ではもしも、このコンボというのが存在せず、時間制限もなかったとしたら?それはただの将棋や囲碁と変わらないと思います。じっくり考えつつ、しかも相手と対等の性能で戦うのは将棋や囲碁です。コンボにかける時間、成功率などはスポーツの技能とほぼ同等です。そういった努力は称賛されますが、そこよりも読み合いや戦法の研究を大切にしているなら、あえてスポーツを選ぶ必要はないと思います。

 

それ、格闘ゲームというスポーツでやる必要ある?

格闘ゲームはスポーツ要素を多分に含んだ頭脳的ゲームであると思います。私はとてもスポーツが苦手ですし、反復してコンボを体に覚えこませるといったことは好きになれませんでした。なにより好きなのは読み合いや心理戦だったので自分の手先の不器用さがまどろっこしいのです。

 

あの時わかっちゃいたけど出せなかったんだよな~と言うのが悔しいのです。もう少しコンボの正確さとダメージを最大限やればなあと思ったりしましたが、そもそもスポーツだと思えばしょうがありません。野球でも想像では打てますし、ストレートとかカーブとか読めるかもしれませんが、打てるとは限りません。

 

そういった自分の手札を強力にするため、膨大な時間を費やすのは穿った見方ですが”課金”のようなものでしょう。いやホント誤解を招くとは思いますが、こう思っています。スポーツをやってる方々の素晴らしい努力だと思います。そして称賛されるべきものです。ですが心理戦や読み合いといったものを重点に置くならば、条件をイーブンにプレイしたくなるものです。

 

しかし、あらゆるゲームは不公平だともいわれます。*3 頭のいいやつ、戦法を熟知してるやつが勝つためにマウントしたいだけだろうと。スーパーAIとチェスで戦いたい人はほとんどいないでしょう。自分の優秀さを示すために相手を負かしたいのか?私はそうではありませんでした。

 

本当の欲求はなんだったのか?本当に必要だったものは?

読み合いや心理戦をしたくなるという心理は何だろうか?結局のところ私は、単に人と仲良く同じネタで遊びたい平凡な人間でした。同じ映画見てポップコーン食べつつ、あのシーンいいよね~とかめっちゃ理不尽だったな~とか話題を共有したいだけなのです。ぶっちゃけ勝ち負けはどうでもよかったのでした。いわばストーリーを共有したいだけ。相手の心を理解して、ちょっとくすぐってみたりしたいだけでした。つまりゲームそれ自体の勝ち負けでなく、プレイした感想を互いに共有したいだけでした。

 

こういった相手を知りたいとか、共有したいというのに適したボードゲームがあります。かたろーぐです。

togetter.com

このボードゲームには勝ち負けが存在しません。そのため強烈に勝ち負けにこだわる子供でも非常にのめりこんでプレイします。かなり内向的な子供でもこのゲームをきっかけにして輪を広げられた、なんて体験談もあります。

 

謂わば私はニコニコの実況をみて満足するような層でした。ライトゲーマーであり、ゲームの楽しさを共有したいだけだったのです。だからこそ格闘ゲームの膨大な練習量や勝ち負けのランキングや勝率などは合わなかったのです。一人で勝つためにもくもく練習するよりもテキトーに違うゲームもしつつ話題を広げたいという欲がある普通の人間でした。

 

こうして格闘ゲームにハマって何年も過ごしたのち、出た答えに納得しました。私は格闘ゲームというものを自分なりに知りたかったんだと。そして知った内容を共有したかっただけなのかも、と。いわば体験・潜入レポート、感想記事を書きたかったのかもしれないんだと。

 

まとめ

というわけでこの記事を書いているわけでした。ずいぶん長く書いてしまいましたが、それだけ格闘ゲームというのが好きでした。今も大好きです。ですが、対戦を積極的にやる理由は消滅しました。それに煽られても、まったく堪えなくなりました。それぞれ格闘ゲームの楽しみ方があっていいし、自分も楽しいと思ってるからそれでいいじゃんということです。

 

格闘ゲームで勝てなくてイライラしてたり、なんでやってるんだろうなあと悩んでいる方がいたら、すこし参考になったら嬉しいなと思います。素直にやめちゃってもいいと思いますし、それは逃げじゃないと思います。単にちょっとやるジャンル間違えちゃっただけかもしれません。もっと自分に向いているジャンルがあるかもしれません。

 

なんだか微妙に転職のようなことをオススメしてますね…。まあ格闘ゲームはイライラしやすいゲームなので、ぜひメンタルにご注意ください。

 

みなさまのよいゲーマーライフを願って。

 

 

おまけ

ゲーマー種族診断 | 性格診断セブン

ちなみにゲーマー種族診断では私は遊び人族・ドリームゲーマーでした。まさしくあってますね。もっと早く診断すればよかったと思います。

 

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*1:ストリートファイターIVではPP1000の壁を越えられませんでした。

*2:今は楽しければなんでもあり。カオスで腹がよじれるほど爆笑するほうが楽しいと気づいた

*3:Fate/Extra CCC のジナコ=カリギリのチェスについての台詞。けっこうショックだった。ジナコ=カリギリ - TYPE-MOON Wiki