かやのみ日記帳

読書の感想や思想を毎日書いています!

むずがゆい子供っぽさを見せられると何故か泣きそうになる

 

子どもでも大人でも構わないけれど、ふと子供らしいことをしているのを見るとなんだか泣きそうになってしまう。いたずらっぽさ、無邪気っぽさに触れると切なくなる。「ああ、この人はこの世界を無邪気に愛せているのかもなあ」という気持ちになるのかもしれない。なんだろう、心の中が明るい人のように思えるからか。そういう時、自分の中に籠りたくなる。ああ、自分とはなんて純粋じゃないんだろうと思ってしまって申し訳なく感じてしまう。自分も純粋でありたいと思っているけれど、とても輝いているように見えて近づくのがとてもためらわれる。

 

誰かが笑顔で自分の服のすそをひっぱって悪戯っぽい満面の笑みであっちいこうよ、とか誘われるときに少し胸の奥がじくじく痛んでちょっと悲しくなる。こんなことを考えたり感じている自分が情けなく思う。どうして自分はいい笑顔でそれに答えられないんだろう。どうしてちょっと苦笑いなのか、この苦笑いの裏の心がきっとばれないといいなと願っている。こんないびつな心がばれないように、ひたすらみんなに隠している。

 

どうしてそう思ってしまうのかをずっと考えていた。中学校くらいからこの気持ちは発症していたように思う。無邪気に明るそうに生きてこちらに元気をくれる人と付き合っていると、自分がどこか暗いものを持っていることが申し訳なくなってくる。自分がその人たちの持つ明るい感情を共有できなくて、仲間に入れないことがつらかった。でも仲間のふりをして明るく振舞うことをしていた。そうしていると、勝手に仲間に入って勝手に傷ついているわけで誰にも話せなくなるという悪循環だ。

 

ここまで複雑に考えている人間というのは本当に面倒だろうなと思う。こういう考えをちらっと話してみると「そういう風には全然見えない」「考えすぎ」と言われるから、ああなるほど、この手の人々に受け入れられる、そういう人間のように扱われる必要があるんだなと思ってますます話さなくなった。そうしているとますます自分の影が濃くなるように思う。

 

こういう気持ちはきっと受け入れられなかった、寂しかったという記憶がずっと今も残っているんだろうなと思っている。子供は無邪気に受け入れられる、無償の愛が必要だと心理学にも書いてある。人と接するときの心の壁がない人たちといってもいいのかもしれない。どこか人に受け入れられることを信じられる人の行動を見て泣きそうになってるのかもしれない。

 

自分は人に受け入れられるということを心の底では信じ切れていない。どこか打算的におびえながら生活しているからこそ、人を羨ましく思って自分にはないものなんだろうなと寂しく切なくなっているんじゃないか。親の服をひっぱってはたかれて酷い言葉を浴びせられた思い出を持っていると、そういう行動をされたときずきずき胸が痛んで苦しくなる。ああ、この人はそういう行動をとっても大丈夫だと無条件に信じていられるのだなと。

 

無条件に人を信じられなかったりすると代償的な行為をしてしまう。人を試すという最悪の行為で人との距離を測ろうとする。普通の人というのはわからないけれど、おそらく通常は失敗してから距離を測りなおすか、自分の距離をそのまま突き進むのだと思う。やたらべたべたくっついて遠慮がない人というのは自分の距離を全てに当てはめて生きていけると信じているからできるのだと思う。そういった成功経験を積んできたんんだろう。

 

反対に失敗して傷ついた人というのは、失敗しないようにおそるおそる試して測る。ここまで踏み込んでいいか、顔色を窺って自分の距離を持っていない。人それぞれに距離を持っているから疲れる。ダメージを負わないように少しずつ少しずつ。そうしている姿が他人に心を開いていないと思われるんだろう。心を開いている人からするともっと開けよまどろっこしいと思われる。

 

心が開けない自分はいつも防衛的だ。だから子供っぽいふるまいはなるべく避けるように、そして人の心に踏み込むような真似をしないように生きてきた。無邪気に人を信じようとする試みは避けてきた。そんなことばかりしているから、子供が何かを嬉しそうに親に見せる姿や親しい人に無邪気にこっちにいこうと誘える姿を羨ましく思っている。なんて強いんだろう、なんて優しいのだろう。そう思って自分の心がどうしても一歩踏み込めないのを本当に申し訳なく感じて泣きそうになる。

 

最初から人を信じられる人と、後から人を信じようと思って生きている人は決定的に違う生き方をしているのだと思う。同じように見えて同じではない。ただ、どちらもとても素晴らしい生き方なんだろうなと思う。自分はまだまだ人を信じられそうにない。とはいえ人間不信とか恐怖症ではないと思う。ただ、人よりもずっとずっと時間がかかる不器用な生き方をしているだけだ。警戒心が強い生き物だと思う。

 

他の人から見てどうしてそこまで警戒心が強いのか、無駄なことをやっていると思われるかもしれないけれど自分なりの生き方だ。ちょっとずつリハビリや慣れというものを学んでいるのかもしれない。こういうのは開く/閉じているのON/OFFで切り替わるものでもなく、ちょっとずつ変わっていくものでもいいと思っている。難しいけど少しずつ失敗を繰り返して今もまだまだ学んでいる最中だ。

 

いつか子供っぽい無邪気さを無理なく見れるようになったらいいなと思う。