かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

反省

 

自分が他人に興味があるか、よくわからない

創作についてあれやこれや調べて、思ったのは自分の幼稚さだ。
現代アートだとか、自分で作ったワールドについて考えてもそうだ。
どうも自分は説明が下手くそにもほどがあるし、人間について適当に考えていたようだ。

 

昔からよ~~~~く人に言われていた。「人間に興味が無いよね」と。
んなアホな、人間好きですよと答えたり、そうだよと答えたり…
反論したり肯定したり、やっぱり正直まだよくわからない。興味ないかもしれない。
けど創作について調べたり、表現の伝わる方法だとか、現代アートだとか。
作品について、作者について調べたり、人に意見を聞いたりしてるわけで、
めっちゃ興味ないわけじゃない。なんだ人間に興味がないって。
今でも全然答えられてない問題だ。

 

人間ってのはどういう生き物なのか、解像度が足りてないことを興味ないというのか。
はたまた常識のなさとも言えるべきなのか。

自分は無邪気に人間は信じるに値し、教養があり、勉強が好きだと信じすぎていたのか。単なる幼稚さがあり、信じたいと思っていただけだったのか。ちゃんとどういうものなのか理解できていないから興味が無いように思われていたのか。

 

多くの人は文章を好きじゃない。漫画はかろうじて、映像は長くないのがいい。
教養なんて不要だ。教えなんていらない、勉強なんてしたくない。
おもしろい流行は大事だ。悲しいニュースには心を痛め、政治のニュースは裏表なく感情が先走り、ダメな政治に腹を立てる。
関心があるのは日々の生活で、家庭を持ち、病気にならないか、元気かが大事だ。

創作に興味などなく、そもそも創作は暇人がやるもの。売れないものであり、売れるならメルカリとかで売ってみりゃいい。そんなレベルなのだろう。

 

他人や世間、一般というものを理解せず、調査せず、考えずに「こうだといいな」と勝手に想像して過ごしていることを一般に「幼稚」というのだろう。

 

 

人の嫌な面、怠惰な面、信用に足らないことを信じるのが好きじゃなかった。
人の悪しき面を考えたくなかった。考えると悲しくなるし、意味のないことだと思っていた。なぜなら悪い面を考えるといい面をより見れなくなるから。
良い面をみて過ごす足を引っ張ると思ったから。

 

人が善性を持ち、悪性を持っている人間は改心する日がくるとか、どこかに善性はやっぱりあってそれを見てればいいんじゃないか。そんな風にも思っていた。

つまり悪い面を見るのではなく、人に対していい面を見て、そうしていい面によって接することが自分にとっても、相手にとっても、そして自分が作る創作にとっても良いものだと信じていたかった。

 

人の良い面ばかりを見て世界で過ごすことは心地の良いことだった。そうすることで仲良く楽しく過ごせると信じられるからだ。

都合のいいことを信じるのは楽だった。一般に夢想的であり、やっぱりこれも幼稚なんだろう。

 

なんか悲しくなるなあ。現実。そう思うのも、やっぱりまだまだってことか。
清濁併せ呑んでこそか。