日誌という言葉の意味から考える
今朝いつものように嫁のはてブを見ているとNissi2なる匿名日誌サービスが開始されていた。嫁のはてブは軽く簡単に見れるからよくスマートフォンでは利用する。Nissi2はなかなかデザインも素晴らしく、匿名で気軽に日誌を書くことができるサービスのようだ。トップ画面にはいい感じの言葉が書かれているので引用すると
ここはあなただけが読み書きできる日誌ページです。
[Public Feed] に公開すれば、みんなに日誌を読んでもらうこともできます。
匿名なので人間関係に思い悩むことはありません。
まずは最初の日誌を書いてみましょう。ユーザー登録は不要です。
ということでとっても気軽に始められる気がする。なにより面倒なユーザ登録なしでできるのは入口としてすごいなあと思う。勝手に払い出されている自分の日誌IDを控えておけばユーザ認証の代わりになるっぽい。
とまあ日誌、日誌と言っていると気になるのは日記との違いである。そこに関しては検索してみるとよい回答があったので引用する。
(中略)そういう意味では、「日記」は内向的なイメージで、「日誌」はその反対というイメージですね。
「日記」「日誌」両方とも根本的な意味は同じみたいです。しかし、「業務日誌」をあまり「業務日記」と書かないのは、それが個人的なものではなく公のものだからで、逆に「交換日記」も「交換日誌」と言わないのは、交換している2人(または複数)の人間以外に見せることを前提としていないからだと思います。
ということで日誌というと人に見せるちょっと公的っぽい記録みたいな位置づけだろうか。確かに業務日記とは言わないし、交換日誌とも言わないのは非常にわかりやすい例えだと思う。まあ自分の意識付けの範囲かもしれないが…。
確かに日記というと自分の気持ちだとか悩みだとかぼんやりとしたものを書くイメージだが、日誌というと形式に沿った記録的なものとして書けるのかもしれない。自分でもこれは日記であるとか日誌であるという意識を持つことでそこに書くことが変わってくるかもしれない。そう考えると最初の方向性ってすごく大事だなと思う。
このブログはかやのみ日記帳なので考えてることや感想が多い。これがかやのみ日誌帳だとどうなっていただろう?それもまた面白い考えな気がする。かやのみ日誌だと○○に行きましたとか○○を食べました、読み終わりました、みたいな報告的なものになるのだろうか。
おわりに
日誌というのもいいものだなあと思う。思い出を綴った日記もいいけれど、今日はこんなことをしたということが事務的に書いてあっても後で振り返ってみると記憶を掘り返すきっかけにもなる。
なんとなくだが日記を書いていた人物の中でちょっと尊敬しているのはルイ16世である。
あまり詳しくは知らないのだけれど、記事によるとルイ16世は狩りや大工仕事、錠前いじりなど趣味については詳しく書いていたらしい。で、バスティーユ襲撃事件の時の日記では「何事もなし」だったとか。
暴動が伝えられた当日の国王の日記には、「何事もなし」と書かれていたという。しかしこの表現は、狩り好きのルイ16世が、ほとんど毎日のように行なっていた狩猟の当日の結果について記したものである。当日のバスティーユ襲撃の出来事について記述しているわけではない。
というわけですごい不安になって胸の内を書いてしまいそうなものであるが、そこは自分の趣味として記録をきちんとつけたかったのか「何事もなし」である。これはなかなか記録的な意味ではすごいなあと思う。区別がついているというか…。その鋼の意志というか、自分の日記のスタイルを貫く姿勢には少し憧れるような気がする。