かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ルイボスティーの味をうまく表現できない

 

不思議なお茶

ルイボスティーと出会ったのは夏の日のコンビニだ。自分はジャスミンティーがわりと好きで、あの香りの良さとすっきりとした味わいがたまに恋しくなる。だからその日もジャスミンティーにしようと思っていたのだが、となりにルイボスティーがおいてあったのだ。

 

正直ルイボスティーは自分には合わないだろうと思っていた。とはいえ一度は飲んでみるのも面白そうだ。だめなら捨ててしまえばいいと割り切って購入して飲んでみた。飲んでみた感想は…最初はちょっとむせてしまった。

 

まず感じたのは”病院”感である。なぜか薬じゃないか?漢方か?みたいな香りと味のパンチがまっさきにやってきた。くぅっと鼻に来る感じのキツさだ。ある種のエグみを感じつつも舌に感じるのは冷たさとさっぱりとした味わいだ。そして後をひかない。

 

これはなんだろう?とわからなくなってしまった。自分の味覚の記憶にはないアブナイ味だ…と最初は思った。というか目隠しで初めて飲まされたら絶対健康に良くないやつだと思ったことだろう。ほんとうに大丈夫か心配になる味だった。

 

しかしまあこういう初めての味、他にはない味、自分の中にない味というのは表現が極めて難しい。自分の中ではっきりとした感想を持つのが難しい味なのだと思った。自分の中ではっきりとした味に対する評価が出るまでは飲み続けようと決心し、それ以来わりとルイボスティーを飲んでいる。

 

自分は食事に対して一定のポリシーがある。耐え難いほど不味いとか体に合わないとか生命の危機を感じるレベルでないなら、きちんと感想をつけようと決めているのである。これはブロガーだとかそういう問題ではなく自分の人生の生き方である。

 

食事の機会は人生全体で見るとそんなに多くはない。そして以前にも書いたが気を抜くと食事はまるで車のガソリンを入れるような「栄養補給」だけの時間に成り下がってしまう。それじゃ自分の人生が機械みたいなもので寂しいと思うから、自分は一つ一つの食事を最大限楽しむのだ。

 

食事とはただ食材をかみ含めるだけでなく、歴史や環境、視界、思い出や自分の感じたことをすべて楽しんでしまっていいと思う。楽しめるのなら最大限楽しんでしまってバチなんて当たらないはずだ。飲み物を飲んでいるときだってまったくそれは変わらない。

 

おわりに

しかしルイボスティー、いったいどういう表現をしたらああいう味を伝えられるのかさっぱりだ。プロの表現を見つけられたら良かったのだが、ちょっと見当たらない。こうした味に対しての表現にはやっぱり憧れる。

 

そんな自分が料理やルイボスティーなどに出会ったときどういう感想を脳内でつけているかというと…自分がどう楽しんでいるか?ということを常に試している感じだ。

 

夏の暑い日に飲んでいれば「ああ、このルイボスティーの健康にいいのでは?と錯覚する感じと冷たさが喉から通って体に染み渡り、ほんの少し脳がスッキリしたような気がするが、実際のところ苦味とかえぐみで目がさめただけのような気もする」というような感じだ。

 

しれっと飲みつつ脳内はすごく楽しんでいるという感じだ。誰にもバレたりはしないだろうし、そういう感想をたっぷりつけることが食材などへの感謝にも少しはなってるんじゃないだろうかなんて思いつつ、この趣味をずっと続けている。