かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

国立西洋美術館でゴッホ見てきた

 

いくつかの絵画は原寸大で見れる
(VRChat: VR Art Museum 西洋絵画美術館 v2․0 By Frabel-JP)

nature2022.jp

国立西洋美術館リニューアルオープン記念
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで
を見てきた。夏まっさかりで上野公園は非常に暑かった。

山田五郎Youtubeチャンネルで西洋絵画をいくつか知ることができ、面白かったのでじゃあ実際にみたらどう感じるのかを確かめたかった。自分が楽しめるのか、なにか新しい発見はあるか。

 

絵画の大きさなどはVRでも再現可能だ。冒頭のスクショにも貼ったが西洋絵画美術館というワールドがあり、原寸大で絵画を見ることが出来たり、動画の解説などもついていて勉強にはとてもよいワールドだ。

 

自分はソフトウェアエンジニアだ。そしてデジタルネイティブでもある。世の中だいたいデジタルでいいじゃないか、情報として正しければそれでいい、ものにこだわりを強く持たないほうが”効率的”と感じる。

そんな自分が絵画に抱いていたのは、絵という情報を見るのなら美術館で現物を見るのもVRで見るのも変わらない、大差ないということ。絵の目的というのは、そこに何が描かれているかだ。テーマはなにか、構図や素材、そして描かれた背景、歴史的意図。そうしたものを知るのに現物は不要だ。教科書でも開いて学んでも大差ない。そう思っていた。

 

まあこう書いても信じられない人も多いのではないか。本気なのか疑われると思う。けど真面目に書いている。というのも、デジタルはアクセスがフリーで平等だと思うから。絵画を実際に見るには足を運んで、金を払ってみるしかない。それは地方の人や海外の人は不利だ。時間も難しい。混雑している土日では人が多くて長く鑑賞してられない。

だからデジタルはいいぞ、というのはリアル世界での不平等軽減にも繋がると思って支持している。大事なのはそこにある実物じゃない、というのはある意味で宗教の偶像崇拝の否定みたいなものだ。リアル世界の物理重視の批判。そういった人間が増えることでデジタルが先の作品が多く認められることで、より多くの人がその恩恵を享受しやすくなるのではと考えている。

 

まあ実際にはこれはなかなか難しいとは思っている。自分はデジタル書籍よりも物理的な本が好きだ。これは自分の脳みそが古臭くて、たくさん物理的な本を読んできたから最適化されすぎているせいだ。重いしスペースもとる。なんなら環境にもよろしくないかもしれないが、やめられない。

 

印象派はすごかった

脱線したが、まあ実際に見に行った。ゴッホ、モネ、マネ、ルノワールクールベ、ルドン、ゴーガン、セザンヌカンディンスキー、クレーと山田五郎の解説のあった画家がたくさんいて見に行ってよかった。

 

まずルーアン大聖堂のファサード(朝霧)The Portal (Morning Fog)。これがすごかった。

ja.wikipedia.org

今調べて見てびっくりしたのはこれ連作で同じ角度の別バーションが世界各地にあるらしい。その中のドイツの美術館にあったものが日本に来たらしい。

これが実際見てみるとびっくりするぐらいキレイだった。そして、もんんのすっごい淡い、近くに寄るとなにが書いてあるのかまったくはっきりしないぼんやり感が凄まじかった。

印象派だからはっきりとはその名の通り描かない。それにしたってものすごいぼんやりしてるのである。朝霧というタイトルがなければ時間すらよくわからない作品だった。

 

なんでびっくりしたかというと、これ、カメラだったらピントがあまりにも甘すぎるからだ。超絶ぼっけぼけの作品なわけである。けどこれは印象派であり、明確に描かずに自分の心の感じた印象を絵にしているわけだ。ただ、これを作品として夜に出すにはよほどの勇気が必要だっただろう。描いていてもここまでぼんやりさせるには技術がいる気がする。

さらに油彩だ。水彩じゃない。水に溶かせば淡くなる水彩と違って油ではっきりとした色があるはずだ。けどこの絵は全然そうは見えない。どこまで淡く、はっきりしない。5歩くらい離れてみると、ああ霧の中だなってわかる。そういう別種の美しさを感じ取った。

 

モネの作品はCC0だった。著作権が切れてたので貼っておく。

Charing Cross Bridge, LondonDate: 1901 Artist: Claude Monet

ほかにもチャーリングクロス橋。これもまあ…もうなにかいてあるねん、いつやねん、どこやねんっていう作品である。ちなみにこれも作品1点じゃなくて様々なバージョンがあるらしい。すごいな、モネ。いったい生涯で何作品描いたのやら。*1

monetlog.blogspot.com

西洋美術館で見たのは上の絵よりもさらーにはっきりしてないぼんやり感の高い作品だった。

collection.nmwa.go.jp

どことなく淡いけど明るい色彩が日本人好みだったのかもしれない。

この絵をみて思ったのはやはり…ここまでぼや~とさせても作品として成立しているのがすごいな、ってこと。なにひとつはっきりしていない。橋の構造部もわからない。どこまでが影で…水…水面どこだろう?空気感しかわからない。境目もない。なんとなく奥の方に建物があるような気がするが、それが木なのか、建物かもはっきりしない。

さらに観察していくと遠近感もやっぱりはっきりしない。列車かなにかわからないが、なにかの煙を出すものが橋の上を渡っているのかもしれない。けどそれはわからない。すべてが曖昧だ。船っぽいもの…あるかどうかわからない。

 

もう書くだけでお腹いっぱいになるほど描かれているものがぜーーーんぶ曖昧なのだ。すごいぞ、モネ。唯一はっきりしているのは名前だけじゃなかろうか。すごい。

 

そして次に感動したもの、それはゲルハルト・リヒターの雲。これは本当にうわあ…とびっくりした。

bijutsutecho.com

もともと写真をもとに描かれた作品だそうだが…圧巻な大きさだった。近づいてみると…油彩なのだ。これがもう雲の輪郭がびっくりするほキレイに描かれている。一つ一つの雲は近づくとたしかに塗ってある。ほんの少し厚みと筆の質感がある。けど全体を見るとただのリアルな、いやリアルよりも美しい雲が広がっている。それが怖くもあった。

この絵を見た瞬間、ああ、こりゃ勝てないや、と素朴に思った。現代の技術では雲はシミュレーションしてCGとして生成できる…はずだ。実際にきれいな雲をお手軽な値段であっさり使うことができる。けど…この一枚絵、油絵で表現されたものを見ると圧倒されてしまう。人間が精緻に描いたものだと思うと、途方もなさを感じる。

 

たぶんだけど、自分の中の重要性は環境によって大きく左右されるのだろう。
自分が本当にVRの中で生まれて、そこだけで過ごしているならデジタルデータはすべて重要なものに感じるだろう。けど、現実は違う。現実の上で生きているわけで、そうした際に自分で無意識に感じる”重要さ、大事さ”は、どうしても現実に描かれたものを強く意識してしまう。

 

あんまりよくない感覚かもしれない。これがエスカレートすると「手書きの履歴書は温かみがある」理論に行き着くかもしれない。けど、うまく使えば自分の感動の発見にもつなげることができる。つまり使い方次第だ。自分の認知をうまく知って活用すること。

手書きの履歴書問題は、単に面接などで使うデータだ。もちろん本人の筆跡、荒々しさや女々しさ、バランスや速度などを見て判断できるデータも多いだろう。けど、大事なのは本人と会話して、いっしょに働けるかを見極めることだ。文字から得るデータよりも大事なものがある。

 

もしも自分がなにをしたらいいかわからない、悩みの只中にあるとき…そういうときは外にでたり、好きなことを違う方法でやってみたりするのもいいのかもしれない。実際に行ってみる。自分がもしも木造建築の細かい装飾が好きだとする、だけどなぜ好きかわからない。そしたらもう、自分で作ってみるしかない。実際の木で作ろうとすれば、香りを含めていろいろ味わえる。そのうえで、装飾自体が好きなのか、木造で掘られた温かみ、経年を感じさせるものが好きなのかわかったりもするだろう。

 

そういう、自分の感じている環境によって、自分の感じ方が変化する。そのことを雲を見て感じた。…感動したから長文になったということで、許してほしい。

 

ほかにもゴッホの作品を見たけど、絵の具だしたまんま描いたような絵というのを山田五郎Youtubeで見たけど、実際に見たらその通り過ぎてちょっと笑ってしまった。もんのすごい厚塗りで、びっしびっし一つ一つ鮮やかで、塗りが強い。送る前にちょっと乾かしてほしいと苦情があったのもわかる作品に感じたり。

 

いろいろ感想はあるけど、ここらへんにしておこう。3645文字も書いて疲れた。