かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

成長と挑戦: 人間の限界とAIとの関係性について考える

 

by NovelAI

少しずつ強くなっていく、それがいいんだ。
というのは、Street Fighter 3rd のリュウの勝利セリフ。
自分が格ゲーをやる上で、メンタル的な部分を支えてくれる一言だ。

 

近頃AIに対して悩んでいて、一つ思い出したことを書く。
格ゲーも場面場面において最適な行動をすれば勝率はほとんど100%。
機械が本気を出したら100%勝てないことは開発者自身も語っている。

 

じゃあ人間がやる意味とはどこにあるんだろうか。
機械によって実際は最適解が求められているのに、人間が頑張る意味はあるのか。

 

それに対してはきっと、自分自身の成長を楽しむ、というのが解答で良いと思う。
人間無駄なことだったとしても、自身の成長を楽しむことが最後に残される。

 

AIが発展しても、そこは大事にしたい。
逆に言うと成長しないまま、
もしくは成長することを忘れて無為に繰り返していては楽しさを忘れてしまうのかも。

 

オセロの 人間 VS AI についての記事が面白かったので、引用したい。

nlab.itmedia.co.jp

ただ私は、これはオセロの戦いではなく、哲学の戦いだと考えていました。

 多くのオセラーが思っていた「コンピュータに負ける=オセロが終わった」というのは違うということを示したかったのです。確かに人間は他のどんな生物よりも高い知能を持っていますが、他の分野で見れば、人間より優れている生物はいっぱいいるわけですから。知能の優位性にそこまでこだわることもないでしょう。私は逃げることなく正々堂々と戦いたかった。

(中略)

 

というのも、コンピュータが手を選んだときに、どんな理由で着手したか、人間には理解できないのです。「総合評価でこれが一番と出ました」といわれても。「ここはこういう考え方で、こうなんです」と人間にも分かりやすく教えてくれるソフトができれば良いですが、かなり難しい。

 人間の限界があるのかも知れません。例えば、いくら100メートルを5秒で走るロボットがいろいろ教えても、人間は同じようにはできませんから。そこには人間の限界があって、似たようなことが、頭脳ゲームにも表れたのではと思います。

AIと人間の知性について、違うものとして受け入れるのもありなのかなと思った。
敗北や役に立たないものとして、ゆるやかに終わるものではないのかもしれない。

 

 

今回のタイトル生成はこんな感じ。

しばらく面白いからこれでいこう