かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

英語を英語のまま理解するということに思うこと

 

最初からできるわけはない

よく中学の頃の英語の先生が「英語を訳そうとせず英語のまま理解できるようになるのが最上」と口にしていたことを思い出す。普通は英単語一つずつを和訳して位置をいろいろ調整して日本語らしくして改めて脳内で読み直すようなイメージだ。

 

だがだんだんレベルアップするにつれ、語順を気にせず日本語に訳せるようになる、英語の和訳スピードが速くなる、だんだん英単語そのままでも理解できるようになり、最終的に英文のまま理解できるようになるという話だった。

 

これを中学生の頃の自分はじゃあ英語のまま理解できるように頑張ろうとした。最終段階まですっ飛ばして自分の脳に叩き込めばそれが常識になるはずだと。が、当然すぐさま挫折した。次にやったのは英単語そのままで理解できるように…と思ったが和訳が適当になりテストの点があまりにも下がってしまった。

 

結局のところ理想は理想として、自分がどの位置にいるかを把握した後、地道にやっていったほうがいい。逆に最上位を先取りしても基礎が逆にボロボロになってしまう。素人の生兵法そのまんまである。

 

これと似たようなことを他の分野でもたまにやってしまう。古文なんかで適当に単語を理解したつもりでなんとなくでテスト問題を解いてもまったくためにならないのと一緒だ。おそらく基礎を大量にこなして脳の中にしっかりとしたものができた後でどんどん効率がよくなっていくのだろう。

 

ちょっと似たものとしてスポーツでの経験が近いんじゃないだろうか。何度も何度もフォームを練習して疲れ果てた後に、ふと実際に何も考えずにやっても感覚でうまくいく。そういう境地がほんの少しだけあり得るのだと思う。それは体の中に基礎が溶け込んで、その基礎を効率よく使えるようになったからじゃないだろうか。

 

おわりに

勉強や受験論の中には超上級者向けだとか結論としてはそうなんだけど論がたまに入り混じっていることがあると思う。そうなりたいと憧れるのはいいのだが、それを目指すべきと信じて自己流でやりだしてしまうと生兵法と化すと思う。自分ひとりで勉強するときは特にこの点には気を付けたい。勉強にはきちんとした筋道が必要なように思う。