かやのみ日記帳

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戦術を戦略化してはいけないということを考えた

 

戦術の神格化

kayanomi.hatenablog.com

最近、何度か失敗の本質を読み返す機会に恵まれたので”戦術”と”戦略”について自分なりに考えてみた。日本軍は個人の戦闘能力と機械の能力の先鋭化が強力な戦術だった。自分の強みを最大限理解し、それを有効活用する。これは非常にまともだろう。

 

ただ、これを戦略化してしまうと地獄を見る。つまり個人の戦闘力と最新鋭機器によって敵を圧倒的に粉砕するとか見敵必殺とか。戦術の強力さによって敵を倒せばすべてが解決する。=目標をそこに定める=戦略と化す。さて、この後自分より強い相手が出たらどうなるだろう?

 

上記の場合、個人の戦闘力と最新鋭機器を無効化された場合、戦略的敗北に直結する。自分が相手よりも圧倒し、敵を倒して勝利するはずが、自分より強くて勝てずに敗北。じゃあ次はどうしよう?こうなると当初の戦略が覆ってしまうことになる。戦術と戦略がほぼ同じだから戦術で負けると戦略で負けたことになってしまう。

 

戦略の失敗は戦術で補うことはできない。米軍は戦術と戦略を分けていたのだろう。いったん日本軍に負けたが、そこから機体の解析や1vs1ではなく複数人で対応するなどを盛り込み個人の戦闘力に頼らずシステム的に対処できるようにした。

 

個人もやりがちかもしれない

ここまでが失敗の本質から学んだことだけれど、これは個人や会社などにも当てはまるだろうなと思う。個人の場合は就活などが該当するんじゃないだろうか。自分の特技をそのまま売りとして戦おうとする。これは戦術の戦略化に似ていないだろうか。

 

例えば自分はサークルで人をまとめるのが上手く、口も達者だから営業として売り込んでいくとする。でも周りが全員自分よりもまとめるのが上手かったら?自信を無くして敗北感を感じ、自分の実力を疑ってしまうのではないか。

 

だから難しいけど自分のやりたいことを目的(=戦略)としたほうがいい。自分の得意なこととは分けたほうがいいはずだ。いざ自分の得意なことが通用しない時、道を見失いかねない。自分がやりたいこと、目標を達成するために手段がある。手段の目的化とはこういうことを言うのかもしれない。

おわりに

自分の将来などを考える際によく今自分ができることなどを考えてしまうのだけれど、ふと自分の戦術と戦略ってなんだろうなあなんて考えてみた。普段使わない戦術と戦略という言葉を使うことでより客観的に、広い目で見れるような気がした。

 

自分が得意としていることを使って周囲から抜きんでようとすると周囲に目がくらんでしまい、視野が狭くなってしまうのかもしれない。周囲と差別化をするのは自分の能力じゃなく、自分がどういう意識でどういう道を進むかということなのかもしれない。