かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

子どもの頃から飛蚊症だったので気づかなかった。

 

子どもの頃から糸くずが見えていて遊んでいた

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上記の記事で飛蚊症が出ていたのだが、実は子供のころから飛蚊症という人は一定数いると思う。自分がまさにそうだ。小学校3年生前くらいには既に飛蚊症だったと思う。とはいえ病名などわかるわけもなく、ただぴょ~んと目の前に紐っぽいものがたくさん浮いているのが見えただけだ。

 

飛蚊症をはっきりと自覚したのが小学生の頃、ある朝。横になってだらだらと布団に包まって窓を見ようと目を動かすと視界の下から上にぴょ~んと紐っぽい何かが出てきたのだ!これなんだろう?と思ってもつかめない。目が悪いのかと思って擦っても擦っても落ちない。ティッシュでとらなきゃ!と思っても全然とれない。

 

非常に困ったなあと思いつつ、別に目も痛くないし…。とりあえず左右に眼を高速で動かすとぴょんぴょん紐が動いて楽しい。数を数えてみようとしてもなかなか数えられない。目を動かすとどこかに行ってしまうものだから一体いくつあるのだろう?それが飛蚊症との最初の思い出だ。

 

たぶん一度親に相談したような気がするけど、生理現象だしとれるものでもないので気にしないように、いつかとれるかも?と言われてそーなのかーと納得した。それ以来何十年と付き合いっぱなしである。

 

人とは違う視界かもしれないけど

飛蚊症を治したいと思わないのか、素晴らしい景色の邪魔にならないか?と思われるかもしれないが…。自分の感想としては「別に気にならない」である。あくまで個人の感想なので不便に思う人や本気でストレスを感じてしまう人も多いだろうが、子供のころから飛蚊症に対して悪い印象を持っていないのだ。生理現象だし付き合うしかないねという感じ。

 

飛蚊症がなければ素晴らしい景色が観れるのになんてもったいない!という人がいるかもしれないが、自分としては雨の中カメラに水滴がちょっとついてるような気分だったり、ちょっとカメラが指紋で汚れちゃってるくらいのものだ。もちろん潔癖な人は気にするだろうけど、それがデフォルトなら気にしない。

 

だいいち文章を読んだり風景に集中している時、焦点が遠くに合わさっているので近くにあるゴミは非常にぼやけて見えるし、数もそこまで大量と言うほどではないし、気が付くとどこかに移動するので集中して飛蚊を見ようとしなければ気にならない。

 

それでもないほうがいい類の病なのかもしれないが、言わせてもらえば例え病だろうと素晴らしい景色を素晴らしいと感じられるならそれでいいでしょうということだ。汝、心の眼で見よというわけである。ただ目に映るだけが良い景色なのではなく、そこに至るまでの旅を想ったり、感情によって風景はいともたやすく変わる。体調もそうだし、自分の体のどこか別な場所が病にかかればまた風景も違って見えるだろう。

 

自分にとって飛蚊症は目の中ではしゃぎまわる妖精さんみたいなもので、これはもう不可避でしかも自分の体内だからどうしようもできない。自分の中の同居人ということでウザがることもなく、自然と一緒に暮らしていくつもりだ。

 

おわりに

飛蚊症ですか?と人に尋ねられることはほとんどありえないだろう。外見の情報では絶対わからないからだ。自分から明かすか、相手から明かされたとき自分もそうですという感じだろう。メジャーなのかマイナーなのかいまいちよくわからない症状だ。

 

でもこうしてネットなどで飛蚊症という単語を見かけるとついつい見てしまう。あまり人に明かしたりもしないので仲間意識というか…ともかくそんな感じだ。本当にふとした時に見えるけれど、それが飛蚊症という言葉で定義されるものだとは瞬時に結び付かなくて、しばらくたつと消える煙みたいなもののように付き合ってる感じだ。自分の体のことだけれど言葉にするとちょっと不思議な感じだった。