かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

書き心地とキーボード

 

鉛筆で文字を書くとき、ノートに書くとき尖っていたほうが気分がいい。
そしてちゃんとノートにきれいに書こうという気持ちになりやすいと思う。
だが丸まった鉛筆とか借りて使う鉛筆ですごく短いとか、握りにくいときもある。
そういうときには書く内容も適当になりがちだと思う。
つまり筆記用具次第で自分の書きたいと思う気持ちに変化があるんじゃないだろうか。

じゃあキーボードの場合はどうだろう?自分は特別キーボードにこだわりはない。
ノートPCでも全然OKだし、古くても新しくてもどちらでもいい。
でも案外関係あるかもしれない。

ほかにも関係あるとしたら音声入力だろう。これは自分の思考を話しているみたいな気がして、ちょっとおもしろい気がする。
こうしてブログ記事を打ちながら気づくのは、書きながら読んでいるということだ。

キーボードをかちゃかちゃ打ちつつ、入力された文字を読んでいる。
だが時折打ち間違いや誤変換でBackspaceを連打して戻す。
これがあまり気分がよくない。早く次に行きたい、もっと早く書きたい。
全然思考に追いついていないのである。

そしてもう一つ。
自分で書こうと思っている文字や思考と入力中の文字は合わないのである。
ちらっとローマ字のk,mなどの子音が見えて、そしてひらがなが漢字に変換される。
これは海外の人がちょっとうらやましい。英語圏ならまったく違和感がないだろう。

これが日本語だと微妙にストレスになる気がする。
最初から完成された漢字を打ち込むことはできない。
このため紙に書くのと頭で思い描くのと画面の差異がうまれやすいのではないか。

最近の仕事では紙に文字を書くほうが少なくなってはいる。
けれども紙でも同じようにひらがなを書いたあとで消しゴムで消して…とはしない。

つまりあまり自然ではないのだろう。
そう思うのはデジタルに完全に溶け込めていない思考だからだろうか。
だとすれば、結構これから先の未来に損をしてしまう気がしてならない。

未来にはもっと別の方法、脳波の直接入力とか視線による入力とか、
もしくは機械学習などによる自動文章生成、
AIスピーカーと対話していっしょに文章をつくるなんてこともあるかもしれない。


今使っているちょっと硬めのキーボードに文章が硬くなってはいないかと
そんなふうにふと思って、いろいろと考えを巡らせてみた。