仕事でふと、この人には情熱がないんだなと感じたことがあった。与えられた仕事はきっちりやる。でも自分で一歩進むとことがない。与えられた仕事をはみ出ない。仕事に対して、自分はここまでと線を引くのがうまいと思った。それはある意味でプロのやり方だと思う。やりすぎも安売りになる。
その後こんな記事を読んだ。
私から見れば、そもそも「こんなものを作りたい!」という熱い思いを持っていない人を新規事業開発部に配属した時点で、失敗が決まっています。
日本企業からシリコンバレーに来た「日本企業で正社員の地位を保証された人」がその空気に触れることはとても難しいし、たとえ触れるチャンスがあったとしても、全く理解できずに見過ごしてしまうのです。
上記記事のこの二つの文章にああ、なるほどと納得させられた。能力的に適任だとか、担当できる人がいないからと仕事を任せられた人がこれに該当するのだろう。でも、本当にやりたいことができない人も多い。ミスマッチはどこにでも転がっている。
この文章を書く前は被害者目線だった。だから日本企業はダメなのだと。
でも書くために文章を整理した結果、これはどっちのためにもならない不幸の連鎖なのだと気づいた。
お互いにベストな方法はわかっているけれど、人間安定していた方が楽だ。決断こそ一番難しい。ただそれだけのことである。
そしてもう一つ、こういった話は成功した人、失敗した人が語るべき内容なのだろう。自分はそういった上位の話ができる立場ではない。だから、悩んでぐちぐちとしてしまう。自分なりの成功哲学を持っている人はズバッと書けるのだろう。
こういった話題は飲み会の愚痴などでよく話される。でも、いざブログで書こうとすると結論がないことに気づく。同じところを巡っている自分に気づきたくない。本当は自分を変えたいなら、周囲を変えたいなら自分で動けばいい。評論せずに。
自分の中で盛り上がる話だろうと思って書いていたのだが、書き始めると不思議と鎮火したのは面白かった。話し相手がいない分、ヒートアップせずに冷静でいられるのかもしれない。