難しいことを書こうとしたけど、考えがまとまらないのでまた今度。
同じ穴のムジナだと気づいてしまった話。
難解な物語が嫌いだった。その理由を探していた。
難解さとはなにか、なにを伝えたかったのか。
作者はなぜ難しくしてしまい、普通の人を遠ざけてしまったのか。
意図して遠ざけたか、そうじゃなかったのか。
否定したかった。難しい物語は語れる人間を狭める。
理解が難しければ解釈も難しく、正解らしきものなんてたどり着けない。
人それぞれ解釈があることになり、誰もが苦しむことになる。
解釈できない人たちは仲間はずれに感じ、排斥されているように感じるのではないか。
そんな作品なんてひどいじゃないか。わかりやすいほうがいい。
人を狭くするような、誰もついていけないようなところに連れて行く作品はいいものか。
けど、こういうことを考えている時点で自分はわかりやすい側の人間じゃないのだろう。そもそもこんな話書く必要なんてない。悩む必要なんてない。
難しい物語の意義、意味を探してさまよって、反対のものを求める。正しさを求める。
けど、それは”難しい問題への解”を探していることと同じだ。
自分は今、きっと大多数に通じない悩みに勝手に突き進んで、勝手に語っている。
難しい問題へのわかりやすい解、説明を求めて難しい道をゆく。
なにが難しいのか、わかりやすいのか、人の言う普通とはなにか…
難しいことで何が良いのか、悪いのか。わかりやすさによって削がれるものがあるのか。難しいことで得られるものが大きいのか。
なんていう堂々巡りというか、ミイラ取りというか。
結局否定しようとして、否定していることをやっているような。
結局、わかりあえないってことなのかと少し思ってしまったのだった。