もうとんでもない本だったので、感想を書いてしまう。
見かけただけで飛びついた本はこれが久々だ。
なんだよもう。殺したい蕎麦屋って。そんなに蕎麦屋に殺意を抱くことがあるのか?
しかも椎名誠さんですよ。いったい何が飛び出すのか、興味津々だった。
このタイトルが目に入ったが最後、購入まで一直線の運命だった。しょうがない。
しかし文章の表現がとてもじゃないがマネできない!
こんなにスカッとする表現が続くのが本当にすごい。
自分の感想の表現力のなさと比較すると、もう…。
短いエッセイなのでネタバレが気になる人は、購入してからどうぞ。
(というかエッセイのネタバレ…?あれ?と思わないでもないが)
殺したい、ってどういうこと?
このエッセイを読み解くと、店主に対して
「コノヤローふざけやがって!」とか
「こんな蕎麦屋オレはぜってえ認めん!」等の明確な拒絶の意志を籠めたものだろう。
意識高い店の勘違いの末、まったくもって満足できない食事を出された。
そりゃあ気分を害して当たり前である。残念なことに食い物の恨みもあるし。
自分にとっての蕎麦の蕎麦たるものをバカにされたような気分とでもいうのか。
ただこんな文章をひたすらジメジメと書いてはまったくもって面白くない!
それをおもしろくする表現が散りばめられているのが椎名誠だ。
殺したいという殺意をユニークな文章で引き立てる。
(中略)その店を出るときに入口の引き戸を後ろ足で閉めちゃる、というようなことだ。
P75 殺したい蕎麦屋
ちょっとかわいらしい、でもなんとなくわかる庶民的な所作がいい。
たしかに店に入ろうかなと思ったときに、客が後ろ足でバンッと閉められたら、入るのをためらう。
この店評判悪いのかな、店員さんが粗相でもしたんかな?と思わないでもない。
そんな後ろ足で占めた音がちょっと想像できるのでクスリとしてしまう。
蕎麦に対する日本人の庶民的感覚を自覚し、共感する
たしかに駅蕎麦とか富士そば、年越しそばなど日本庶民の友とも言えるぐらい浸透している。
山下清なんかは有名な駅そば店で働いていたエピソードもある。
ちなみに自分も食べに行ったが、めちゃくちゃデカかった。
いや食レポブログにするつもりはないのだが、蕎麦が好きなもので…。
上記の唐揚げそばなんて400円である。安すぎる。これだけ満足に食べれて、しかも即座に出てくる駅そばはサラリーマンの懐の味方ともいえるだろう。
もはや蕎麦は日本人の本能に根差しているのか、蕎麦問題の様々
さらにネットで話題になったのが、男は年を取るとなぜか蕎麦打ちにはまるということだ。
どうも手軽に料理を作って満足感もあるし、プロらしく奥深い技術。
そして仕事らしい段取りの快感や家族サービスにもなるといった側面があるらしい。
蕎麦のゆで汁問題も話題になった。貧乏くさいなんて批判もある。
自分は割る分量がへたっぴだし、ちょっと熱かったり、あんまりおいしいと思わないので積極的には飲まない。
というより蕎麦でお腹いっぱいなので、あんまり飲めない。
自分もなぜか十割そばを"じゅうわり"と読んで怒られた経験がある。
”とわり”と読めと怒られてしまった。しかしどちらでもよいらしい。
発祥もたしかではない。
なんとなく日本人にとって蕎麦はこだわる対象になりがちなのだろう。
インド人にとってのカレーのように、日本人にとっては蕎麦が熱いのだろうか。
自分にとっての殺したい蕎麦屋
かつて自分が殺したいと思ったほどの蕎麦屋がいただろうか?
どちらかというと一緒に食べに行ったときに、通な食べ方をレクチャーしてくるやつのほうがよっぽど殺意がわく。
最初は生で食べるんだ、とかそば湯はな~とか語りだす奴。
食ってておいしければそれでよかろう。
ただまあちょっと気まずいマナーもある。
ざるそばと天ぷらの組み合わせで、つゆにつけるタイミングとか、どの程度つけるか、というのは非常に悩む。
なんだかお店の人にちょっと申し訳ないなあ、どうやって楽しむのがいいですかね?と聞きたくなるものの、いい店主ならきっと「おいしく召し上がってください」で済むのだろう。
なんとなく居酒屋の焼酎話を思い出した。こういうのが美味い蕎麦にも当てはまるんじゃないかな。
居酒屋で本格焼酎をロックで飲む人を見て
— 歌らん (@weekly_utaran) 2015年7月29日
半可通な某焼酎居酒屋店主
「その焼酎をロックとか蔵元に失礼だ」
わりと焼酎知ってる人
「これ以外とロックもいけるんだよね」
焼酎かなり詳しい人
「別に好きなように飲んだらいい」
蔵元
「牛乳で割ると美味しいんですよ」
※実話
蕎麦は夏にはざるそばがうまいし、冬はあったかいそば。駅そばにはコロッケ蕎麦がうまかったりもするし、いろんな食べ方をいろんな場所で楽しめばいいと思う。
まとめ
蕎麦はもしかすると日本人にとって生活に寄り添ったソウルフードなのかもしれない。
だからこそ殺したい蕎麦屋、なんていうと「おっわかるぞ!」となるのかもしれない。
あなたには殺したくなった蕎麦屋はいるだろうか?