”自分のお金”がないと思い込んでしまう
子どもの頃、自分の家は貧乏だと思っていた。実際に貧乏だったのは間違いないのだが、必要以上に貧乏だという意識のあまり遊ぶことすら控えるようになった。両親は今でも少し気に病んでいるらしい。
どうして子供のうちからお金に遠慮するようになったかと言えば、ことあるごとに両親が貯金だなんだとお金を奪い取ったからである。もちろんお金の貯金は大事だし、自分の将来のためには必要だったのかもしれない。けれど子供心に”奪われた”という気持ちは強かった。どこの家庭も同じようなものかもしれないが…。
お小遣いというものも実は我が家には存在しなかった。ことあるごとに申請して、それが”両親基準で”正しければ購入していただけるという形だった。だから漫画やゲームの類は申請することすら憚られた。
どうしてこんなにお金を自由に使えないのか。子供ながらに考えたり、両親に尋ねたかもしれないのだが自分の中の結論としては「貧乏だから」。これに尽きると悟った。それからは縁日だとかでもまったく食べなくなった。食い物は家に帰れば無料だと思っていたのである。
修学旅行なども同様でまったくおみやげを買わなかったことに両親は激怒していたが、自分としてはどうにもお金を使うことがもはや無意識的に嫌になっていたのである。どうせ食べ物が欲しいのなら、家にあるもの食べればいいじゃないかと。思い出なんかよりもお金をセーブできたのだからそれでよかったじゃないかと。というわけでそこそこ寂しい思い出になったか…というとそうでもなかった。
”知ること”っておいくらだろうか?
自分はここからきっと「どうやったらなるべくお金をかけず長く楽しめるか」を学んだのだ。それは「仕組み」「原理」を想像することだった。これにはお金がほとんどかからないし、本だって図書館やネットを使えばいい。安上がりなのにこれほど難しく頭を悩ませて、それでいて楽しめるものは他になかった。
ユダヤの格言にもあるけど、「人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。それは知識である」。あんまり偉そうには言えないけど、頭の中で自分で楽しむ分にはお金はかからない。妄想なんてタダである。
両親はギャンブルも好きだった。パチンコ、パチスロ…。けれどそういったものに興味を持つことはなかった。お金が増えようが減ろうが別にどうだっていい。というかいささかでもお金が減るということが嫌だった。
そういうわけで自分がギャンブルについて楽しもうとしたら、ギャンブルの還元率だとか売り上げだとかそういったことに興味を持つ。そしてある程度推定だとかができれば満足する。自分の中でモデル化ができればより楽しい。自分の中にギャンブルという仕組みをコピーできたことになるからだ。
これは究極のエコではないだろうか?自分で何千万回やってモデルを経験や思い出から作るよりも計算などで簡単に近似的なモデルができる。お金を使わなくても入力に対する結果が得られる、想像できるならやらなくてもいいや。そんな感じの節約である。
…まあ簡単に否定するとギャンブルには射幸心というものが大事であり、その情動を味わうために人はギャンブルをやるのだろう。そうして一瞬の栄華や破滅を味わい、それもまた人生経験だというはずだ。だから豊かな人間になるにはお金を使って様々な経験を若いうちからしたほうがいい。
まったく否定はしない。…でも自分にはお金を使って…という部分が若干のトラウマになっているから及び腰になってしまう。要はびびりなのだ。自分でお金を払って体験するということが。むしろお金の使い方がわかっていないのかもしれない。
とはいえむやみやたらにお金を使ってあーだこーだする前に想像だけで済ませられるというのはらくちんである。射幸心なんてものをギャンブルで味わうよりももっとお手軽に危険度を少なく味わうことだってできる。自分がいったい何をしたいのか、何を得たいのか。それはいつでも変わらず大切なものだと思う。
おわりに
ケチと言われることもある。無駄遣いしない人とも言われる。でもどちらも正しくなくて、簡単に言えばお金を使うことが怖いのだ。子供のころからお金を自分の管理下になかったから大人になってもどこかお金がちゃんと管理できている気持ちになれないのだ。
今でもどこかできっと奪われると怯えている。自分のものじゃないんだという後ろめたさをどこかトラウマのごとく抱えている。こんな後ろ暗い気持ちを普段はあまり感じないのだけれど、ふとちゃんと自分を見つめるとこんな気持ちがある。けれどそんなこと人には言わずに、なんとなくお金を使う気になれないだけ、くらいにとどめている。
どちらにせよお金が自分のきちんと管理下にある人はそれだけで素晴らしいと思う。お金を貯めるためにお金に使われる人。お金を使わされるためにお金に縛られる人。お金を最大限に自分の人生の価値に還元しようと努力する人。いろんな人はいるけれど、お金とはいい付き合いができていると言える人がいたらすごいなあ。そんな風に思う。