かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

人の泣くものと自分の泣くものは違う

 

昔、ドキュメンタリーを見ていたとき両親が泣いている姿をみてびっくりした。
出演者の方が苦労したという話を苦笑いで紹介していただけだった。
自分にとってはその人達が苦笑いで済ませられるなら乗り越えたあとだから、別に流してよいだろうと思っていた。
でも両親には自分たちの過去の経験に重なる部分があってつい泣いてしまったらしい。
要は自分の中にそういう経験がなかったから想像できず共感できなかった。

 

こういったことはたくさんある。そのことをどうも忘れがちだ。
感動するように作られたものにはみんな泣く。それが当たり前になっていた。
でもそうじゃない。ひとそれぞれの歩みが違って共感できるところが違う。
だから些細なところで違いなんていくらでもでる。

 

泣いている姿というのは普段は見ない。だからよりはっきりとわかる。
でも普段のささやかな傷つきなどははっきりとはわからない。
自分のなんでもない一言も受け取られ方は違う。
たまに誰かが自分とはわからないところで泣いている姿を見ないと思い出せないのか。
色んな経験をして自分の中に人の痛みに共感できるようにならないといけないのか。

 

現代はより様々な人とたくさん接する機会が与えられるようになった。
意図せず世界中の人にさらされることもよくある。
その中で様々な人の痛みに配慮しなければならなくなったのかもしれない。
でもその根幹はきっとささやかなお隣さんとの違いを意識することからなのかもしれない。