かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

追い詰められても本気が出せない人間は休んでもサボっても本気出せないとわかりました。

 

人間は怠惰な動物である

ここしばらく思うところがあってブログの更新をやめていたのだけれど、どうにも心が落ち着かない。まるで宿題をやり忘れているように、もしくは気がかりな花に水をやり忘れているように妙な寂しさを感じた。

 

ブログには一日1時間、2時間くらいは割いていた。あまりぱっとしない記事にもそれぐらいかかっていて毎日他の時間が圧迫されていて若干窮屈にも感じていた。ネタがないと苦しんで書くことをやめたいと思ったこともあるし、なにより読んでくれる人に満足してもらえるようなものが書けていると思えなかったからこそ何よりつらかった。自分が自分自身の書いたものに自信が持てなかった。

 

ブログを書くのをやめてじっくりその分時間を取って本を読もうと思ったが、いかんせん人間はサボるもので自分がそんなに真面目な人間なら毎日少しずつ本は読んでいたはずである。テスト前になったらいくら自分でも焦ってちゃんとやるだろうと思ってやらないアレである。

 

togetter.com

つまり…残念ながらブログの更新が捗らなくて困ってる、ネタにも困ってるからじゃあ間隔開けていつかやればいいやと思っても結局はやらないという…。まあ人間そううまくいくものではなかったということがこの3日間でわかったことだった。

 

今日の宿題を終えて

なんというかこうやってブログの更新ができるとなんだかほっとする。学校を3日ほどインフルエンザとかにかかって休んだ後とかに妙にクラスになじめるか心配になったりする気持ちである。が、案外書いてみると書けるもので案ずるより産むがやすし、そんな感じだ。

 

ソ連が恋しくない者には心(心臓)がない。ソ連に戻りたい者には脳がない。

自分のプーチン大統領の名言(?)だけれど、ここまで奥深い表現はすごいと思う。恋しいと思うことは人間として自然なことだけれど、戻るのは非常に愚かだと。なんていうか夢を抱くそれそのものは自然だが、その実態や現実をきちんと見ないものはおろかであるという意味ではないか。

 

ある意味この好きな言葉を自分への自戒としていうならば、なにもかも放り出して遊びほうけたいというのは夢ではあるけれど、自分がだらけてなにもしない人間だということを忘れてはいけないのである。

 

おわりに

自分にとって必要なのは休んで何かできると自分に期待するのではなく、続けつつ時間配分だとか本を読む時間を工夫することだったのだろう。休んで時間ができればなんでもできると夢見るのは夏休みの大学生によくあることだ。今、夏休みも終わって振り返ってみればきっと色々やっておけばよかったと後悔している人も多いんじゃないだろうか。

 

本当に不思議なことでどうやら時間が余っていようと無意識のうちに心がどうも緊張感を失ってしまうらしい。心理学的になにか解釈がありそうなものだ。それはともかく休んでみてはっきりとわかってよかった。時間があったって自分はやらないのだ。そこはそれとして潔く、そこを考えつつ自分をどうやってなだめすかしてやり続けるのかがカギだと思う。