かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

忙しさ=灼熱地獄の可視化

 

忙しいの可視化

仕事とはなぜか忙しいものであるというのが通説だと思う。そうでなくても世の中の人々は何故か忙しい。…自分はあまり世界のことを知らないから日本人と言ってもいいけど、ともかくも忙しい人ばかりである。

 

なぜ忙しいのかといえばきっと大変だからである。大変というのは例えていうならきっと火事である。今日もどこかで火の手が上がってみんな大慌てで急いで消火作業である。それが比喩として…VRのようにみんなの忙しさを数値でボランティアとして登録してもらったら世界はどれだけ灼熱地獄になるだろうか。

 

人間の忙しいと平和というのは架空のものじゃないかと思う。誰かや世間の架空の忙しさの上に架空の平和が乗っかっている。平和なときに忙しく、忙しいときに平和な人もいるというのは、奇妙なバランスがなりたっているのではないか。

 

けれどもそれは人間の認識の上でのものであって、実際には世界なんてちっとも忙しくないのだろう。忙しいという概念はきっと人間にしかあるまい。仕事をするのが人間だけだからか。…自分はやっぱり生物のことも知らないから人間は、ということにしておこう。

 

であれば人間の認識の忙しさとかそういうものが可視化されれば面白いのになと思う。個人個人が自分の感じる忙しさのぶんだけ数値を高くして、それをみんながみれるようになったら面白いのに。けれどもそれはこの世がいかに地獄なのかを見て取れてしまうようでそれはそれで…という感じか。似たようなものに夜の世界がどれだけ明るいかをだした画像もあるが…あれで十分地獄であるということを示せているのかもしれない。