かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

素敵な思い出の感情を守って過ごす

 

素敵だった時間を守る

夜にどんなに楽しいことがあって、励ましの言葉などを受けて元気が出ても
朝、つらいことや悲しいことがあって相殺されるのはとても悲しいことだ。
だからなるべく相殺されないよう、自分の感情を一定にしようと最近頑張っている。


自分を想ってくれた大切なものを、自分を大切に思わない物事から守りたい。
気持ちとか感情は目には見えないから、意識的に自分で守らないといけない。
情報は絶えず飛び交って、防御の構えすらできない。
体は反射で防御の姿勢をとれるかもしれないが、感情はそうはいかない。
じわじわとダメージがくることもよくある。


楽しいことや前向きなれること、素敵な時間が夜にあっても
夢見が悪くて最悪な朝になることもある。
陰惨な事故のニュースを見てしまったり、通勤中に酷いことが起きたりもする。

あれだけ素敵なことがあった昨日を忘れてしまう。
あのときの素敵だった時間、本当に救われたという感情は寝たら消えてしまうのか。


じゃあ今という時間はどれだけ価値がないんだろう。
いつか忘れるなら素敵な時間なんかいらないんじゃないか。
そう思うのはあまりに悲観的だ。
刹那的なものを否定しすぎて、将来について暗く考えすぎている。
未来は今の時間の連続と積み重ねでできているはずだ。

 

感情もきっとそうで、今の時間にしか感情がないわけじゃない。
それぞれの時間にたしかに感情はあって、なかなかそれを記憶できないだけだ。
あいまいに薄らいで、なんとなく気分が良かったぐらいになっている。

でも、毎日気分良く過ごすことで、幸せの量は積み重なっていくと思う。
感情は瞬間的だが、きちんと記録して月平均の幸せを測ってもいいかもしれない。

 

素敵だった時間は日常の不幸の計算に入れない

素敵な時間があったことを忘れず、強く守って生きなきゃならない。
感情的な揺れはあっても、長期的に積み重ねていきたい。
そしてつらいことがあったとき、過去の良かった思い出の貯金を減らしたくない。
どうしても幸せと不幸を見比べて、打ち消そうとしてしまう。


他人と自分の幸せな記憶を比較したら、足りないなんて感じてしまうのだろう。
人は自分の不幸ではない何も起きなかった時間をポジティブにあまりカウントしない。

残るのは幸せと不幸かの記憶で、それぞれいろんな出来事と比較計算しがちだと思う。
でも幸せにもいろんな種類や分野があると思う。全部同じではないはずだ。
仕事であった幸せと私生活の幸せは自分にとっては別だ。


この考えは仕事と私生活を分けない人には合わないだろう。
けっこうストイックな目標というか心がけだと思う。
自分自身なかなかちゃんと守るのは難しいと思っている。


自分は仕事と私生活を分けたい。だから感情の会計も別にしたい。
仕事を頑張るために私生活の癒やしとか休息をあまり割り当てたくない。
仕事のあれこれは仕事のなかだけで済ませたい人間だ。
だから飲みコミュニケーションはフェアではないと思う。
仕事の問題を場外で片付けようとする、本質的な解決ではないと思うからだ。

 

おわりに

この考えを相手に求めるわけではない。あくまで自分の中だけの話だ。
ここで書いたことを完璧に守るのは難しい。
感情は思考よりも早くて、波があり、そして見えない。
感情はよほど修行しない限り、たぶん制御できない。


仕事をしているとたまに嫌なことがあったりする。
ストレスがたまり、怒りたくなることもある。
悲しいこともあるし、辛いこともある。そういうとき感情が揺さぶられる。
マイナスの方向に感情が向かってしまうのを感じる。
でも、なんとかプラスでいよう、一定値でいようと努力したい。


怒らないようにする、悲しまないようにするのではない。
大切な思い出にあった幸せを、仕事のあれやこれやに邪魔されたくないのだ。
そういう気持ちでいると、ちょっとだけ冷静に、感情に気づきやすくなると思う。
その積み重ねが将来の自分の幸せにつながると信じている。
そして大切な時間をくれた人たちの想いを無駄にしないことだと思っている。