かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

どうして自分は続かないかの考察

 

あーこれできるな、同じことを根気よく続ければできる。
そう思うと急にやる気がなくなるのはなぜだろうか。
そうやって投げ出したものがいくつもあり、自分に誇れるものがないのが悲しい。

自分に言い訳をしているのか、めんどくさがりなのか。完成するのが怖いのか。
地道な努力が嫌いすぎるのか、飽き性なのか。治す方法はないのだろうか。
なぜか続かない、やる気が無くなる自分に困っている。

 

やり続けなければわからないものがあるはずなのに。
全力でやらなければ得られないものだって多い。
それなのになんだか、終わってもいないのに満足してしまう。わかっただけで満足。
なぜなんだろうか。

 

今日はふとそんなことを思ってWebで調べてみて、ふと思った。
これはもしかすると期待の先取りをしているのではないか。
いわゆる「目標は人に話さないほうが達成率が高い」という問題に似ている。

www.ted.com

本来なら実現するまで満足は得られないはずなのに
目標を人に話し 認めてもらうと
それが一種の― 社会的現実になることに 心理学者は気づきました
もう実現したかのように 心が錯覚してしまうのです
そして満足を感じることで 必要な努力を実際に行う
― 動機づけが低下してしまうのです 

 つまり完成が見えてしまったとき、心のなかですでに完成した!という満足をすでに得たと錯覚してモチベーションが下がっているのではないだろうか。

心の錯覚や妄想が強かったり、感受性が高いとこういうパターンに陥る可能性が高いのではないだろうか。

 

これ、創作においてはよろしくないと思う。絵画などではデッサンを繰り返しやる理由は「きちんと現実を見るため」であるはずだ。
思い込みが強力で何度もやらないと自分の目がいかにごまかしているか、自分の描いたものがいかに間違っているかを認識しなければならないから。

完成していないのに、もはや完成できると思い込んでいるなら、それは自分の心の錯覚に負けてしまっているのではないか。自分の想像力が足りているようで、足りていないのではないか。

 

そんなことを思った。結局誘惑に負けて、自分の言い分に理屈をつけて面倒なことから逃げているのかもしれない。厄介だ。

できれば自分の意志力を使わずに続ける方法がほしい。
自分を満足させないでいるというのは案外難しいのかもしれない。
満足度に対してのしきい値が低いと人生は幸せでいっぱいのような気がする。
だが創作や仕事においてはクオリティの低下でしかないのかもしれない。