かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

全力と手抜き

 

呪われてしまった

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全力で作ったと言えるように作品を作りましょう!
スランプと言わないようにしましょう!スランプくんなんて呼ばれちゃいます。
手抜きはやめましょう!

 

というわけで、上記の動画を見て自分に突き刺さったのが上の3つ。
この動画を見た頃はまさしく手が動かず、もう作るのやめよっかなと思っていた。

 

自分はVRChat向けの3Dモデリングをして、建物を作りたいと思っていた。
でも、作ったもののクオリティが低すぎると悩んでいた。うまくない、下手。
でもって…結構なにげなく言われたことにショックを受けたりもした。
簡単に言えばリアリティがなさすぎるってことだった。

 

「リアリティ」ってなんだろう。「全力」ってなんだろう。
どこまで作り込んだら自分は全力って言えるんだろう。
できることを全部やらないと「手抜き」と言われることが怖い。

 

これはまさしく呪いだったと思う。書いててつらくなる。

この呪いに対してなんとか自分なりに答えを見つけることができた。

 

リアリティとは、極端には必要のないものである。
全力でやると死んでしまう。無限に終わらなくなる。完成は永遠に、絶対にない。
手抜きはどこにでもある。言いたいやつは批評家なだけだ。放っておこう。

 

リアリティも全力もいらない

まずはじめにリアリティとクオリティは実は違う、そのことを自分はわからなかった。


リアリティというのは、どれだけ現実に寄せられたかということ。
クオリティは…自分にはあまりわかってないが手数を増やして複雑化したもの。
そんなふうに思っている。情報量を増やすとか、時間をかけて設計するとか。

 

で、リアリティは永遠に到達不可能である。当然だが。

 

例えば木の椅子を作るとする。かんたんなリアリティアップの方法はある。
寸法を正確にする。木の材質に木を使う。面取りなどの加工をきっちりする。
汚れをつける。構造をちゃんと計算する。音を入れる。動かせるようにする…

 

でもこれだけやってもリアリティはまだまだまだ、足りない。
どんな木から作られてる?実際の木から切り出さないの?
…無理だ。木の成長というリアリティなんて。
実際の木の写真撮って使っても、そこに本当の意味のリアルはない。

 

 

誰でも途中でリアリティアップを打ち切る。当然だ。
で、それを「手抜き」と言われたらどうしよう?

ここまで見る人なんて誰もいない、そう言って省略することは「全力」なのか?


答えは結局、全力でやるなってことだ。全部全力でやってもきりがない。
自分の一番のところだけ、自分の満足する範囲で頑張ったところを言えばいい。


全力はただの主観でしかない。そして評価もされない。
ただ自分で胸を張れるか、作品を作る上でのモチベーションとかに役立つだけだろう。

 

 

手抜きという人間には心がない

うん、ここまで強く言えばいいだろう。
頑張って作ったものに重箱の隅をつついて「はいここ手抜きー」と言うのは心がない。
まあプロとして指導されているならいいと思うけど、感想で言われるとダメージだ。

 

というか全力でやったら人間はなにもなし得ないのである。
手を抜くっていい方がよくない。分担とか自分という資源の集中みたいなものだ。

 

こういう議論にはFF15でも話題になったピクサーの考えが当てはまる。

damonge.com

あまりにもディティールにこだわりすぎたおにぎりに批判が集まった。
ただのおにぎりにボスモンスター級とほぼ同等まで制作の苦労があったという。

 

おにぎりに手を抜かなかったと言えるかもしれない。
だが、それはゲームとしてまったく本質じゃない努力でしかない。


でもってたぶん、もっともっとおにぎりはうまそうにできたのかもしれない。
例えばご飯粒がこぼれるとか毎回違う形になるとか、具が入るとか。
そう言ってしまうと、ここまで頑張ってもまだ「手抜き」である。
もはやいちゃもんだけど。

 

すべての作品には完成なんてないから

ここに至ってわかってくると思うが、永遠に作品は完成し得ない。
どこまでもクオリティは高めることができてしまう。打ち切らなきゃいけないのだ。
それを手抜きとは言えない。


これは間違った言い方だがあえて。

現実にはすべての作品にリアリティなどない。クオリティも全部手抜きだ。
永遠に作品は完成しない、永遠にクオリティは高められるのだから。

 

人間を3Dモデリングするのに細胞単位までこだわるかい?
FFの最新作では産毛までこだわって実装されているらしい。
次は毛細血管だとか頑張ってもいいと思うが、終わらないと思う。

 

わかっている人には当たり前すぎることだけど、自分にはわかっていなかった。
そしてちゃんと言葉にして反論できない呪いだったから、ここに書いた。

追記:

お風呂入ってるなかで思ったけど
全力で血まみれになりながら精魂削って作ったクッキーと
楽しくいろんなアレンジを適度に休みながら作ったクッキーを渡されるのでは
自分は楽しく作ってもらったほうが食べやすいし嬉しい。

 

全力は文字通りの全力ってことじゃないんだと思う。全力は精神論すぎる。
もちろん体育会系の人は酷使することが好きなのだろうけど…

 

自分は継続的であり、他の人も再現可能なレベルであってほしい。
じゃなきゃ他の人がクッキー焼くには血みどろになるまで頑張らないと…となる。

 

全力なんて真に受けなくてよさそうだ。むしろ精神論な分、時代遅れだろう。
ちゃんとタスク管理して、優先順位とか守って無理なく作るほうがスキルが高い。
まあ動画では短くわかりやすく伝えたかっただけってことだろう。極端なものだ。