かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

広告ビジネスに未来はあるのか

 

NovelAI

もーYoutubeの広告が多すぎて参ったのでPremium契約した。まんまと。

 

誰かが言っていたが、Youtube Premiumに契約して広告を消す層にこそ広告を見せたいとは指摘されていた。ある程度の継続的支払いにも耐えられる層だからだ。逆に無料で使い続ける人こそ広告の効果が薄い。

 

広告が罰ゲーム扱いされるのは、広告主にとってもマイナスだ。
だから、今後広告ビジネスがどうなるのか。サブスクで消されるだけの広告に価値はあるのか?

なんというか、読書をサボってる影響が思考にでてきたかもしれない。

広告ビジネスは今後どうあるべきなのか。インターネットの収益構造の将来はどうなっているのか。そういう真面目な本を最近読んでなかったせいで、ちゃんと自分の考えというものができてない。

 

Xについて、だいぶ悪い部分が増えてきちゃったのも、広告ビジネスが揺らいでるのもまとまった本でじっくり読んで、自分の思考の材料を増やさないといけないなと思う。

 

ほかにもこんなものを見た。

gigazine.net

こうして生まれたのが、「私の意見に反論するな」という欲求に根ざした「ソーシャル・ソーティング」、つまり社会的な選別です。

この問題を要約すると、「人の脳はインターネット上にある意見の相違をうまく処理できない」という点に尽きます。

(中略)

人と協調するのに必要な共通点を見いだせなくなると、脳は意見の相違をアイデンティティにかかわる問題だとみなすようになります。

自分と似た立場の人が言う意見は正しいと感じるし、
そういうグループの仲間だと思いこむと、そのグループ自体が正しいと感じる。

反なんとか主義みたいな人たちがそれで、一人ひとりは主婦だとか孤独な人だとか
似通った属性を感じ、仲間っぽく感じると、同調しやすくなる。

 

そしてSNSは怒り・強い意見がピックアップされ、常に掲げられる。
強い意見を掲げ、その集団がそれを認めているように錯覚する。

 

たぶんだけど、似ている人には親近感を感じちゃうし、深く考えると疲れるので単純な意見はわかりやすく、バズりやすく、多くの人が賛成しているように見えてしまう。

実際にはエコーチェンバーが起きていて、グループ内だけの同意なんだけど。

けどSNSの数字が、Likeの数がそれを錯覚させてしまう。Botの可能性もあるのに。

 

なんか、真面目に年末ゆっくり難しい本読むのがいい気がしてきたな…