ホラーゲームは怖いんだけれども…
たまたま見かけたのでブラウザでさくっとやってみた。プレイ時間は30分と書いてあった通りで済むはず。もっとも時間がかかるのが暗号を解くところだが、そこまで苦労もしないはず。(自分は順序を間違えてずっと首をひねるはめに…)
上記の記事を見てやる気がむくむくと起きたのが次の文章。
ゲームは、どれほど自由度があっても、どうしても「受け身」にならざるを得ない部分がある。
ゲームを起動し、画面を表示させ、その「枠組み」にのっとってプレイする。「村人A」に自分から話しかけるところでさえ、「A」のセリフを与えられているという側面は否定できない。
通常、「会話」というのは、ゲームの基本を成す。もちろん音ゲーやパズルゲー、シューティングのように「会話がなくてもよい」ゲームはあるし、あるいは「ゆめにっき」のように会話を意図的に(そして徹底的に)廃したゲームも存在する。
これは…これはserial experiments lainちっくなゲームなんじゃないか!?という歓喜のもとプレイすることにした。lainもホラー…ホラーゲーム…?いやあれアタッチメントソフトウェアって名乗ってるし…。ともかく、こういったプレイヤーに迫ってくるゲームはなかなか興味がある。
ということで実際にプレイした感想を以下に書いていこうと思う。ぜひ気になったらブラウザでスマホからでもプレイできるので気軽にやってみてほしい…が、わりと心臓にはよくないなあと思う。
直接的なグロではないんだけれども(これもネタバレだろうか)、自分の精神にちょっとゲェッとくるタイプのやつだ。後味というか…。ともかく今日をすっきり終えたい人にはちょっとオススメできないけど、少し謎解き+ホラー好きな人にはおすすめ。
ゲームの感想。細かい部分に気を使ってくれていてGood
やっちまったな!と思った瞬間だけど、別にそんなことはなかった。このグッズのせいでこちら側がクラックされたわけではない。というか最初にデバイスを渡された時点で既に負けている。もうクラックはとうに済まされた後だからだ。
ゲームはもう最初から666laboratoryというロゴと名前で嫌な予感しかない。ともかくカウンセリングをするらしい。カツラギという男のプロフィールを見ると何故か「入団」になっている…。うん、宗教施設ですねわかります。
で、名前を入力するシーンがありlain好きの自分としてはもしやLibraryで自分の名前を検索すると順次情報が追加されて自分がどんどん侵されるのでは…とアブナイ期待をしていたけど結局最後までヒットしなかった。残念。そこまで期待しすぎも悪いか。
ともかく選択肢はあまりチェックはしていないけれど、わりと一本道…なんだろうか。カウンセリング対象のイオちゃんの中にアミーという友達がいるらしく、それをひきはがそうねということらしい。アミーは本当にいるのか、精神病か?と思うがここは怪しげな教団チックなところ。実はモノホンっぽい…が、どこまでホントかはわからない。
アミーはイオを守るために存在しているっぽい…気がする。ウソが嫌いで他人をばんばん殺す危ない輩である。けれども両親からの虐待があり、そこから自分を守るために創った人格と言えないこともない。そういった”才能”のある子どもを教団が拉致して研究していたかもしれないのだ。だから純粋な悪魔とは言い切れない。
まあともかく教団はアミーを探ろうとするが直に会うと危険すぎるという理由で隔離し、直接会わずネットワーク経由で監視することに。だがアミーはとっくにネットワークをハッキング済みだったらしい。なぜなら冒頭の端末の説明時にノイズが走り、わざわざライブラリで検索してねと御膳立てしているからだ。
というわけで最初からアミーの手のひらの上で彼女を理解することになる。最後にはあちらから積極的に関わって来てくれるという自己主張の激しさである。なので最初から端末はハックされているわけで、おもちゃ一つが繋がろうが別にアミーにとっては影響ないんじゃないだろうか。
ここらへん最初からハッキングはできなかったことにして、おもちゃを与えるという選択肢を強制的に選ばせることでプレイヤーがものすごい後悔するならわかるんだけれども…。まあネットワーク経由でチャットしている時点でアミーの凄腕ハッキングで終了ということか。うーん、教団もなかなかザルというか…。とはいえそこまでハッキング能力が高いともうどうしようもない。というわけでプレイヤーはすがすがしく勝ち目ゼロでしたね。なかなか逆にすっきりしました。
ゲームはプレイヤーをどれだけ”ハック”できるのか
昔、この手のゲームをやったことがあるなーと探して見つけたのが上のFlash。これは個人サイトを経営していたと思いきや、徐々に危ない一面が見え始め最後は現実に侵食してくるというストーリー。プレイヤーをゲーム内の登場人物が認知しているということに恐怖を覚えるモノ。
こういった画面の向こうだから安心…と見せかけてプレイヤーを知ってるぞと来るタイプはゲームプレイヤーとして当たり前にある”自分自身に危害を加えることができない”という前提を覆してくる。VRとかになると更に凶悪になって精神崩壊一歩手前まで絶対行くだろうなあ、このタイプのゲームは…。
VRを使うと人間の視覚+聴覚を完全に奪われるので恐怖度がかなりヤバくなる。人間が仕入れる情報の8割くらいが視覚と言われるので、いざというときに逃げられないような被り物をつけていると精神汚染度が飛躍的に増すよなあ…と思う。
上記の統合失調症の症状が味わえる奴は”絶対に病んでる人は見てはいけない”。はっきりと忠告しておかなくては間違いなくヤバい奴で、確実に症状が悪化する。自分が将来、このようになるんだあ、とかこういったものが見え始めたら嫌だ、考えちゃだめだ…と自分に何度も言い聞かせているとだんだん精神が悪化するやつである。
上記のリンクのVR体験映像を見るだけでも吐き気がしたし、実際にやってたら間違いなく精神悪化+不眠コンボにより見えちゃいけないものが見えてた可能性もある…。それぐらいヤバイやつだ。おまけにプレイヤーに対する最後のドッキリも仕掛けられていて相当にたちが悪すぎる。健全な人もやるべきではあんまりない…が知っておくだけでも人生観が変わるかもしれない。
ともかくこういった視覚全体を使い、普段我々が当たり前に持っている常識を揺るがしてくるゲームは危険だ。なぜならそれが自分にとっての当たり前になっているからこそ我々は健常でいられる。
正気でいられるのは自分の常識が正しいと暗黙で了解してそれを確信しているからだ。そこに疑いや何らかの浸食を受けると一気に精神が不安定になるのは当然である。まさしく正気を失う、SAN値が減ると俗にいうやつである。
リセット 新装版 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
- 作者: 筒井哲也
- 出版社/メーカー: 集英社
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筒井康隆のリセットがちょうどVRを使ってプレイヤーを洗脳するゲームの話を描いている。これはガンガン死んでリセットするのが当たり前のVRゲームを創り出し、さらにサブリミナル効果とかそういったもので現実にいる状態でも”リセットができる”と勘違いさせていろんな人間を死においやったという話。
3DとかARとかそういった二次元や非実在のキャラクターと現実で会えるというのは素晴らしいしワクワクする未来のように思える。けれども逆に我々が二次元や非実在のキャラクターに侵食される、汚染される、囚われるというのは恐怖を感じる。
ここらへん、今日現在の情報化社会や電脳の未来について考えてくると境界線がわりと揺らいできているのかなあと思う。だからこそこういった現実とゲームの境界を揺さぶるような作品が世に出て我々に問いかけてくるんじゃないだろうか。社会的にみな、漠然とした不安や期待を持っているからこそこういった作品が求められ、そして世の中に出てくる。こういった作品を見ると本当に面白い試みだと思う。
おわりに
ひさびさにこの手のプレイヤーとは何か、ゲームとは何か、これからのゲームが我々にもたらすものは何か、その体験はどのように取り込まれるのかを考えさせられた。一気に自分の中でいろんなアイディアや考えをひっぱりだしてくれた。間違いなく自分にとっては良いゲームだった。
いろんなものがインターネットにつながり、そのセキュリティが問題視されているからこそこういったゲームの発想は活きてくるなあと思う。実際にどうやらロシアとかがウイルスを作って他国を攻撃してるっぽいなんて話もでている。
Watch dogsをやっていても他人の家にあるサービスロボなんかをハッキングして好き放題しゃべらせたり個人情報を収集して脅したり…。ゲームや映画で定番のおとぎ話がいつの間にか現実化してしまっている。こうなるとそのうち本当に人の精神を破壊するようなゲームや電子ドラッグなんかができてもおかしくないよなあと思う。
もしアメリカなんかでVRが完全に普及して、あるゲームをやっている最中に気が付くと巧妙な別なゲームに切り替わり、どんどん精神を病ませるような作りや驚愕させる方法、突如として視覚から筋肉のけいれんを起こさせるような信号を送ったり…なんて考えだすとまさにSAOのデスゲーム…。こんな未来が訪れなきゃいいんだがと祈るほかないが、まあできてしまうものはできてしまうはずだ。
事実は小説よりも奇なりというのは、人間が発想しうるものは全て実現できてしまい、そのうえで現実がはるかに超えたものを出してくるという諦観の言葉だと思っている。これはいい意味でも悪い意味でも当てはまる万能な言葉だろう。だから起こりうる未来をあらかじめ小説として受け止めて来たる現実のショックに備えようなんて思ってたりする。むしろそのために小説やあまたの作品があるんじゃないか。そんな風に考えていたりする。
ともあれ、今の段階ではゲームからプレイヤーに対してアクションする試みというのは若干の恐怖と驚きと新鮮味を与えるにとどまっているけれども、機器の進化などでその可能性はどんどん大きくなっていくのだろうなと思っている。それを666laboratoryをやってみて思い出した。