かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

VRChatを続けている理由

 

メタバースが世間を賑わせており、VRChatも少し認知されていると思う。
じゃあ、VRChatを選ぶ理由はなんだろう。
どうして続けているんだろうか。なににハマっているのか。
他のゲームをやるよりVRChatを選ぶ理由は何か。

 

グラフィックがいいわけではない

PS4,PS5の今どきのゲームはグラフィックが綺麗だ。大作オープンワールドゲームはどこを見てもため息が出るほど美しい。スクリーンショットを撮る機能も充実している。

一方でVRChatはどうだろう。ゲームとして公式が用意した舞台は多くない。
背景など世界そのものはユーザがそれぞれ作ってアップロードしたものだ。
マリオメーカーとか、RPGツクールとかそういう世界の集まりみたいなもの。
なのでクオリティには明確に差がつく。

 

もちろんPS4級、商業級の作品もあればPS1以下の作品もある。
けど、プレイヤーたちは別にクオリティ自体を特別視はしていないはずだ。
どんな世界であろうと、それなりに楽しんでいると思う。

 

なぜか。
自分たちで楽しさを見つけられるから、楽しめているのだと思う。

 

例えば動物を見るだけのゲームがあったとして、多くの人はすぐに飽きる。
やれることが少ない、アクションがない、ストーリもない。
けど一部の人は毎日スクリーンショットを撮ったり、自分で日記を書いたりする。
今日はこんな発見があったとか、こういう行動を動物はしてる、喧嘩してる?とか。
ローポリだったとしても、楽しめる人はきっと楽しめてしまう。

 

自分で楽しみを発見できるから、続いている。
そういう人は魅力的で、その楽しみ方自体がコンテンツ化する。
ニコニコ動画とかでやるとそこそこ伸びるような、そういう人だ。
(今はどうかわからないけど)

 

VRChatはそういうゲームだと思う。ユーザが自分自身で楽しみ、楽しんだ結果がコンテンツとして流行し、それがイベントとなり、新しいモノを生み出していく。

例えば写真を撮るのが好きな人が、SNSに上げ続け、コンテストを開催する。
例えば食品が好きすぎる人が、自分でアバターやアイテムを作って売り出す。
例えばワールドが好きな人が、もっと作って欲しいから交流会を開く。

 

自分たちで楽しみ方を見つけ出して、それを共有して、共感が広がっていく。
そうやって自分たちなりにVRChatは楽しいと思って過ごしていく。

 

楽しみを見つける心

古いゲームやアニメ、映画を好きになれない人はいるだろうか?
グラフィックが古い、時代背景が古い。白黒映画で盛り上がらない…。
小説はどうだろう、古典として楽しめるだろうか。
いや、文章だけなんて耐えられない、今はYoutubeすらあるのに。
そんな考えもあるだろう。

 

たしかに今どき作品よりも不親切で、クオリティが低いかもしれない。
けど、楽しめる人は作品で表現したいことを汲み取れると思う。
本当に作品が表現したことはなんだったのか。
それを見た目、表現手法以上に見ることができると思う。

VRChatでも同じだ。クオリティよりも、表現したかったことを汲み取る。
RPGツクールでも、小学生の作った絵でも、大学生の作った同人映画でも。
そこにいいモノを見つけられる人はいる。楽しみをちゃんと得られる人がいる。

 

現代はいいものが手に入りすぎるし、頭のいいコメントが多すぎる。
大作ゲーム、長編ドラマ、映画…すべてに批評がついてまわる。考察記事も多い。
浅い感想なんて求められていない。ここよかったーなんてのはありふれすぎている。

もちろんひどい作品はあるけど、それ以上に批評が厳しすぎやしないか。
批評することは楽しさに繋がらない。文句やケチをつけても満足は得られないと思う。

 

自分から素直に楽しむ心がないと、人生楽しくならないと思っている。
例えば、深夜に異性の家に行って夜食として冷食のチャーハンとソーセージをレンチンして紙皿に盛られてどう思うか?

ちゃんと皿に盛ればいいのに、冷凍なんておいしくない、ソーセージぐらい包丁で切れよ、夜食としてどうなのか?
異性という単語になんらかのこだわりのある人なら更に厳しい意見が出るだろう。
もっと性別に応じた役割がある、異性に出す料理としてうんぬん。

 

いろんな文句は出そうと思えば出せるけど、それよりも自分だったらこう楽しむ。
「うおー!深夜で一番カンタンに盛り上がれるメシ来たな!最高!たまらん香り!」
割り箸でチャーハン食おうが、紙皿だろうが、盛り付けが雑だろうがどうでもいい。

 

いつのまにやら身につけた文化的な先入観で目を曇らせてしまいがちだと思う。
目の前のことを楽しめないのは深刻な人生の損だろう。

同じようにレトロゲームだろうが無料の同人ゲームだろうが楽しむ心が大事だと思う。
画像のクオリティの低さ、セリフの酷さがあろうが、なにか自分なりに楽しめないか。
バカにしたり、批判したり、斜に構えて”楽しませてもらう”より、楽しみたい。

 

そういう人自分で楽しめる人、損に感じない人たちがVRChatを長く続けられる。
そういう人たちがコンテンツを作り、人が集まり、楽しみを増やしていく。

 

主体性のあるコミュニティ

思うに、VRChatを続けられる人たちは損を損と思わないからだと思う。
自分が楽しめなかったとして、怒るか?いや、合わなかったなーで済む。
別なことに活かそう、次なんかやってみようとなるはずだ。

普通の人たちはゲームを買って、ハードを買ってつまらなかったら怒る。
もっというと、慎重に調べ、レビューを読み、なぜ楽しいかを考えて買う。
なにが優位なのか、新規性なのか。多くの人がやっているか、話題になるか…

 

VRChatはまあ普通のPCでもできると言ってるが、VR機器、高いPCだとより楽しめる。
じゃあ楽しめなかったら?高い金を払って損するだけじゃないか。
なにが楽しいんだ、人と話すだけで?
ワールド?大手ゲーム会社が作ったVRのほうが楽しめて、綺麗に決まってる。

 

つまり、リスクが大きすぎる。楽しめる要素が少ないと感じられる。
楽しんでいる人の理解ができない、共感もできない。よってやる理由がない。
損する可能性が高いから。

 

じゃあ今やってる人たちはどうなのか。最初にやり始めた人たちは?
なにもなかったと思うし、盛り上がってなかったと思う。けど楽しんでいた。
損するかもしれない、けどやってみたい。楽しみたい。なんか作ってみよう。

楽しませてくれ、じゃなくてたぶん、楽しんでみよう。
そういう人たちだったんじゃないか。

 

VRChatのアバター、ワールドのカスタマイズはUnityで行われる。
Unityなんて本物のゲーム開発ツールだ。
普通に大作ゲームすら作れる万能ゲームエンジンである。

覚えるのは大変だし、次々バージョンアップするし、うまくできないことも多い。
さんざんみんな文句は言ってるけど、やめる気配はない。

普通の人はできなかったらめっちゃ怒るし、サポートに鬼電話するだろう。
けど、楽しめる人たち、損を損と思わない人たちは許容できる。
そんなもんかな、ひどいなー直しておこう、直し方周知してみよう。
こういうふうにやるともっと良くなる、とか。

 

フリーマーケットとかDIY製品とか、そういうので文句言う人は向いてない。
電子工作とか好きな人が向いているわけだ。
安い中華の偽物電子機器を分解して遊んで共有できちゃうような精神性。

ちょっとしたクリエイターの卵ともいうべきか。
クリエイターとしての精神性を理解できること。
じぶんなりに楽しむコツを掴めている人。そういう人は何事も楽しめる。
新しいことにチャレンジして損をしても、チャレンジ自体を良しとできること。

他の人の作品をバカにせず、良いところを見ることができる。
自分なりの楽しみを見つけて、新しく人に共有できる。

 

そういう人たちがVRChatにいて、その輪にいたいから続けている。
自分もVRChatのそういう、新しいものを作っていくところが好きになった。
で、作り始めて、共有して、こうして記事を書いたりして楽しんでいる。

 

www.youtube.com

VRChatの公式PVのタイトルは Create, Share, Play。
作って、共有して、楽しんで。
主体性を持って、自分なりの楽しさを作り出すことが大事だと思う。