なぜなにもしたくないと感じるのかを考える
ときおり「なにもしたくない状態」が来ることはないだろうか。自分はときたまやってきて、今まさにそんな感じの状態である。が、きっちりブログの記事は書こうと思えるあたり「なにもしたくない状態」ってなんなんだろうなと思う。思うにやる気などの空回りなどが考えられるのではないか。
なにもしたくない状態には精神面と体力面があって、体力面の消費は休みをとることでしか回復しない。食べ物を食べてもゲームのように回復はせずにすぐに眠くなってしまう。なのでなにもしたくない状態というよりは体力が枯渇している状態そのものだろう。
じゃあ精神的な面でのなにもしたくない状態とはどういうことなのだろうか。自分の場合はなにをしたらいいのかわからない、もしくは自分がなにをしたいかわからないとか自己否定に走ってうつっぽい状態のような気がする。自分の中にやる気はあるのかもしれないが外に出ていけず、内側でくすぶってる感じだ。
そういうときでもなんとなくやることを探す自分がいる。なんとなくスマホをいじり、なんとなく本を読んだり。でもやりたいことというか、体力はあるのに何もできないような気持ちになってしまう。常に自分の力の向き先がそこじゃないと拒否され続けているような気分になる。
不思議に思ったので「なにもしたくない」で検索してみるといろいろ記事が見つかった。面白かったのはなにもしたくないと感じた時は”書いてみる”と良いそうだ。
つまり自分の中で溜まっている不満とかストレス自体をわからないものとか自然に水に流そうとせず、きちんと外に吐き出すことが大事なのかもしれない。今現在自分がやっていることだが、なぜなにもしたくないと感じているのか、そもそもなにもしたくないって言ってる自分はいったい?みたいなことを書くといいのかもしれない。
なにもしたくないというのは便利な言葉でついつい使ったり当てはめがちなのだけれど、もっと器用に分類しないと解決策が見つかりにくい。自分が本当になにもしたくないわけじゃないことが多い気がする。
書いててあれだったのだが、自分の気持ち自身、心自身がきちんと整理して欲しいと言ってるのかもしれないと思った。無意識になにもしたくない、なにもしたくないという気持ちをわかってくれない限りは、みたいなことになっていた気がする。