かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

春よ来いが自分にとっての春ソングの思い出

 

苦い春

春の歌で思い出深いものはなにか、みたいなお題が出ていた。春の歌で思い出深いのは「春よ、来い」である。春よ来いはいい曲なのだろうな…と思うが、第一印象が非常に悪かった。それは大人たちがよってたかって名曲だから名曲だからと押し付けてくるのが良くなかった。

 

子供にとっては大人の押しつけというのは非常に嫌である。さんざん勧めてくるものを嫌いになる習性があると言ってもいいと思う。大の大人でも散々べたべたされると嫌なのに子供ならなおさら地獄である。価値観の押しつけなんて最高にダメである。

 

要は名曲名曲といってばかりの大人たちは「これを名曲と認めないのはおかしい」とか「名曲なんだから名曲」「すでに名曲と決まったものを追体験して名曲とは何かを知れ」みたいな感じなのである。少なくとも自分にとってはそう感じたくなるものがあった。

 

ひねくれていると自分でも思うが、子供は誰だって最初は素直で純粋なものである。ひねてくるのは環境や自分を心理的に守るためである。ひねているから素直に受け取れないのではなく、素直に受け入れてくれないからひねるしかなかった。そういうこともあるのだ。

 

名曲に対する自分のスタンスとしては、黙って好きな曲を聞けばよろしいというスタンスである。自分にとっての名曲は自分で見つけるしかない。世間一般でいいと言われるものだけという情報だけでいい。好きでもいいし嫌いでもいい。それをいろいろ解説しなくてもいいと思う。

 

そこらへんはやはり画一的な教育だからしょうがないのだとは思う。個人個人の好みに合った教育というのはできないのだろう。人それぞれにあった教育というのはあるはずだが、それを選ぶことは出来ない。だからあるときに自分が受けてきたものをはねつける勇気とそれが正しいと信じる自分の強い心がいる。

 

そういうものを「春よ、来い」で学んだりした。一度嫌いになり、二度と聞きたくないと思いもしたが、自分で改めて誰にも強制されず、なんとか過去のいろいろを忘れた上で聞くとやっぱりいい曲なのだ。できれば先入観なく聞きたかった、そんなことを聞くたびにちょっぴり苦々しく思いながら聞く。