かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

情熱、熱意、熱心

 

情熱という言葉とか熱意とかそういう言葉を使われることはよくあるのだけれども、なんだか微妙な表情をしてしまうことが少なくない。熱心という言葉もあるけれども。就職活動なんかでは熱意だとかそういうのを見せないといけないらしい。それはどうやって判断するのか、判断できるのか。

 

熱心さとか情熱は話してみればわかるという人は多い。それは少しの話題から蛇口を捻ったように周辺知識をざらざらと喋り、過去と絡めて未来を語ると良いというアドバイスを誰かにされたことがある。就活の必勝法みたいなものなのだろう。実際これは非常によく機能した。情熱が足りないとか覇気がないと言われたことはない。

 

でも、情熱というのをあたかもすごいものだとか普通にないものみたいに扱われたりしていると、だんだん不安になってきてしまう。自分の情熱と言われるものは果たして本当に正しい情熱なのか?と。情熱というものはなんなんだろう。

 

自分の中で思っているのは情熱=それをやらずにはいられない、気づいたらやってしまっている、関わってしまっている、諦めきれないもの。そういう定義だ。そうでなければ情熱とは言えない、なにか別なものではないかと思っている。