かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

火事場の馬鹿力が働いたとき

 

人生には幾度となくピンチが訪れる。これからもあっては欲しくないがきっとピンチは訪れてしまうだろう。そんなとき火事場の馬鹿力に助けられるときもある。ただしこれに期待してサボっているとただの負け戦になりがちだ。火事場の馬鹿力はきっと焦りとか挽回のためでなく純粋にピンチの時に発生するように思う。

 

自分は肉体面での火事場の馬鹿力はあまり体験したことがない。というよりも馬鹿力をもってしてもあまり解決しないことも多く、持久力もそこまで高くないためにすぐ終わってしまうので助けになりにくいからだ。反面、脳を尋常ではないほどに酷使するような馬鹿力はたまに発揮されることがあった。

 

火事場の馬鹿力というと肉体方面での印象が強いけれど、頭脳方面でも同じ言葉は使えるのだろうか。わからないけど、ある意味火事場に至って急に冷静さが増すような場面があると思う。いや、冷静ではなく視野が狭まるものの一つの目標に向かって全能力を集中して生き残ろうとするような感覚だ。

 

どうも自分は肉体面の動きと脳の動きが普段からかみ合っていない節がある。脳のほうがいろいろ考え込みすぎているし、あれこれ迷うので肉体が混乱しているようにすら感じる。これがピンチとなると肉体もがんばってはくれるのだけれど、いかんせん脳のほうがはるかに混乱しているのでうまく扱えないのだ。せっかくの火事場の馬鹿力も肉体面ではあまり活かしきれていない気がする。