かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

VRChatを200時間やってみて気づいたこと

 

VRChatのプレイ時間が200時間を超えた。

一般的な据え置きのゲームなら二週目に到達していると思う。

始めたときから心境が大きく変わってきた。そのことを書きたいと思う。

簡単に言えば、落ち着いた。ただそれだけなのだが、それが心地よかった。

この記事はこっそり過去に投稿している。ちょっと恥ずかしいからね。

 

10月中旬に100時間に到達した。その後2ヶ月かかって200時間。

始めたのが9月だからペースは半分に落ちている。でもそれでいいかなと思う。

焦って長くやるものでもない。自分の生活に合わせることが大事だ。

 

最近はだいたい一日に大体2-3時間プレイしている。

9時、10時くらいまではBlenderやUnity、情報収集などを行っている。

VRChatは10時くらいがゴールデンタイム。一気に人が増えだす。

次の日に予定があるときは10時前に切り上げるとちょうどいいことも知った。

盛り上がる前にお先に失礼という感じだ。

 

始めたころの自分は焦っていた。周囲の技術をたくさん知りたくなった。

VRChatの常識というものを知りたかった。友人が沢山欲しかった。

というよりも、輪に入りたかったのだ。どうやったら入れるのか。

きっと技術を持ち、改変などを行い、個性を出し、注目を集めればいい。

そんなふうに思ってTwitterでいろんな人をフォローしたりした。

 

今から思うとずいぶん駆け足だったなと思う。

始めてから20-30時間くらいでHitogataでアバターを三体くらい作った気がする。

Clothの勉強をして、アニメーション、パーティクルをやってみた。

DynamicBoneも買ってみた。

 

輪の中になんの理由もなく入れなかった。

なにか進捗とか珍しいものが必要に感じていた。

なんでもいいから失敗したこととか、とにかく話題が口実がほしかった。

今だから思うが、焦り過ぎだし周囲の過ごし方を見ていなかった。

VRChatで過ごす時間が足りなかったんだろうなと思う。

 

もう一つよくなかったのはTwitterを気にしすぎていたことだ。

皆よくその日過ごしたことをスクリーンショット付きで上げている。

楽しそうだったし、羨ましかった。そしてその人達に自分は近づけなかった。

なにももっていないし、つながれない。FriendOnlyとかFriend+とか。

そもそもFriendの数が少なければたどり着けない。きっかけもない。

 

だから焦っていた。ああいう人たちにならなきゃ楽しめないんだと。

まだ自分はVRChatをぜんぜん楽しめていないんだと。

どこかで仲間外れ、疎外感、コミュニティに属していない気持ちがあった。

そしてそれは、自分が悪いと思っていた。技術などがないからだと。

書いていて、なんだか苦しく感じていたなと思う。

 

Publicで最初は過ごしていた。最初は初心者だとわかると囲んでもらえる。

フレンドにもなってもらえる。でもなにかが違うんだろうなと思っていた。

その違いが当時の自分にはわからなかった。

今ならたぶんわかる。その人達にはなんとなく居場所があるのだ。

過ごした時間とよく話す人達、顔見知り。ただそれだけだ。

 

初めていく居酒屋やバーに居場所が見つからないのと同じ、居心地の悪さ。

常連客はよく来て、よく話しているから常連なだけであまり特別じゃない。

でも初心者には手に入らないものだ。時間だけは手に入れられない。

けれども焦らずに待っていれば手に入るものだ。それを知らなかった。

 

なるほど書いてみてわかった。自分はVRChatの常連になりたかったのだ。

それは初心者には無理な話だ。技術とかなにかで時間を埋めたかった。

常連に憧れていたのだ。うーん、書いてみてなかなか恥ずかしいものがある。

 

そんな自分だが、今はそんな焦りはまったくない。落ち着いた。

それぞれにVRChatを楽しめばいい。落ち着いて見渡せば、みんなそんな感じだ。

Twitterで見える世界は狭い。やっていない人もいる。

たいてい見えるのは有名人だったりRTやいいねが多いツイートだ。

そういうのは必然的にキラキラしたものになりがちである。

 

本当に自然なツイートや楽しかった感想はフォローしてじっくり見ないとわからない。

多くの人はのんびり過ごしているように思う。ただ遊んで楽しかった。

焚き火を見たり、洞窟でずっと話していた。それだけで十分だったとか。

一人で寂しかった、大勢と飲み会をした。ありふれた友人づきあいと変わらない。

いいねが少ない、なんてことないつぶやきのほうがずっと自然だ。

 

コミュニティに属している人もいる。イベントの主催をしている人もいる。

アバターが個性的な人もいる。販売をしている人もいる。

海外の人もいる。学生さんもいる。音楽をやっている人もいる。

いろんな時間の過ごし方がある。

 

自分もコミュニティに所属したいと思っていた。貢献したいと思っていた。

でもそれはやめようと思った。

自分には自分のペースがある。自分がやりたいことをやればいい。

進歩のスピードについていこうとしたり、追い越そうとしなくていい。

 

どこの記事で見たのか忘れてしまったのが悔しいが、気に入っている考えがある。

優れた発明、技術というのは、それそのものには価値がないのだと。

いずれどこかの未来で必ず発明されうるものである。

ただ、その発明が現在に誕生し、何十年先の未来を先取りしたから価値がある。

誕生までの時間を短縮したことに価値があるのだと。

 

一見この考えは技術や発明の軽視のように感じてしまうかもしれない。

じゃあ未来でできるなら待っていればいいじゃないかと。

自分がやらなくてもいい。誰かがやってくれるだろう。

素敵なワールド、素敵な技術、素敵なアバター

VR技術だって、機器の値段だっていつかは誰かが革命を起こし値段も下がる。

その上で自分が頑張る必要はあるのだろうか?

 

要は自分たちは未来の時間を欲しがっているのだ。

空が飛べたらいい。電脳世界で暮らしたい。夢の生活だ。夢を見ている。

誰かを追い越したいわけじゃない。有名になりたいんじゃない。

夢を叶えたいだけなんじゃないか。

 

だから人と比較してあれこれとか価値がどうこうとか。そういうことじゃない。

自分が叶えたいこと、やりたいことを、自分の好きな時間に好きなだけやればいい。

時間がかかるかもしれない、いつか叶うことをどれだけ今欲しいかだ。

そのためにお金も時間も使っていく。夢を叶えるのだ。

夢が叶うんだったら、それでいいじゃないか。

誰かが自分の前に頑張ってくれたら嬉しい。妬む必要はない。

 

200時間やってみて、いろんな夢がもうたくさん叶った。

沈まない夕日を好きなだけ眺めていたい。桜の散る姿を永遠に見たい。

雨の降りしきる日に日本家屋で庭をじっと眺めながら友人と歓談する。

焚き火を囲んで夜まで話す。自分が作ったものを見てもらう。

 

たいしたことじゃないけど、自分にとってはどれも嬉しいことばっかりだ。

自分ひとりが頑張っても絶対に到達できない未来だ。それが今、ここにある。