Vtuberについて調べて面白かったのでアバター文化について自分の認識を書く。
認識の整理だ。結論から言うと多様な外見を持つことで、外見への固定概念がなくなり、その人の内面の形を見出そうとする方向に向かうからアバター文化は素敵だと思っている。
Vtuber(タレント業)などは姿を固定化されてしまっている。偶像としての形が固定化されている。
一方VRChatなどのアバター文化では姿は固定化されないことが強みにすらなっている。
きっかけとなった記事で興味を持った部分だけ抜き出すと以下の通り。
ねこますさんはVTuberを「アバターを活用したタレントさん」と定義しており、もしVRC民が「アバターを使ってYouTubeに投稿する人」になったとして必ずしもVTuberとはならないと説明。
今のVTuberを語ることはなぜ難しいのか? 2020年激動のVTuberシーンを振り返る(KAI-YOU.net) - Yahoo!ニュース
原典は以下のツイートだろう。
バーチャルYouTuberの定義を「アバターを使ってYouTubeに投稿する人」だとするなら自分もそれに当てはまるけど、個人的には「アバターを活用したタレントさん」と定義してる。
— けもみみおーこく (@kemomimi_oukoku) 2020年1月24日
定義が前者だとVRC民が投稿したら全員vtuberだけど、たぶんそういうわけじゃないんだよな。
この機微を伝えるのが難しい
アバター文化で一番実感に近いと思ったのは以下の通り。某イベント主催者が書いている記事は商売によりすぎていたので微妙だった。
たくさんの姿を持つ人々
VRChatをやっていない人からすると想像しづらいだろう点がある。それは外見としてのアバターがたくさんあったとき、果たして同じ人物とみなすことはできないんじゃないか?ということだ。
参考までに自分のアバターは普段遣いでも5種類はある。日毎に違うことも多い。でも受け入れられている。これはネームプレートなどの外部情報があるからというのもあるかもしれない。一方で、なくても同一人物とみなせる場合も多い。
VRChatで過ごしている人はよくわかっていると思うけれど、結局の所「その人らしさ」をどこかに感じるのだ。それはわかりやすい場合もあるし、そうでないこともある。
アバターに共通したその人らしさ、というのはだいたいは「好み」の反映だ。
例えばうさぎが好きならうさぎの象徴があり、狐が好きなら狐耳などがある。
色の好みもある。自分の場合はオレンジだからだいたいオレンジ基調に変更している。
そうでないアバターもあるけど、長く過ごしていれば「そういうのも好きなんだな」と認識してもらえる。
現実世界でも「その人の好きなもの」「その人の内面」は目に見えない。
だからアニメ作品、漫画作品を列挙してもらって、つながりを考察していく。
例えばガールズパンツァー、ストライクウィッチーズ、ハイスクールフリートが好きな人に共通するのはミリタリーものだ。
けど、日常ものだがつらい出来事に立ち向かう物語のアニメを追加したら、その人は運命に立ち向かう少女の凛々しさが好き、と考えられるかもしれない。
そこまでくると「ひょっとしてこの作品も好き?」と聞いたりする。あってる、ちがう、見てない…そうやって話が弾んでいく。よくあるだろう。
これらは目には見えない「その人らしさ」を掘り下げていくことにほかならない。
自分の中に「その人らしさ」を構築していく。〇〇さんは「ショートカット」「アニメ好き」「凛々しいキャラ好き」「お姉さんタイプが好きでない」「熱い物語が好き」「日常系は見ない」
そして「なぜそれらが好きなのか」が気になってくるだろう。どういう点が好きなのか。今後好きなものがどのように増える見込みがあるだろうか。「好きの原点」はなにか。そうやって人に対してどんどん興味が湧いて、その人が好きになってゆく。
アバター文化もそれとほとんど変わらないように思う。なぜそのアバターが好きなのか、どんな点が好きなのか。どういったものが理想なのか、今の姿は理想を100としてどれくらいの数値なのか、しっくりきているのか、きていないのか。
アバターが多様であるからこそ、その人の「好き」を表現するツールになりうる。アバターは全員が好きなものを選ぶことができる。作ることができる。
アバターを通して見ているのはアバターそのものだけではなく、その人の内面だと思う。だからこそ面白い。複数あっていい。共通項を見出す楽しさがある。そして、未来においてきっと同じ姿ではない。成長するのか、好みが変わるのか。それは内面の変化や成長だと思う。
アバターはどんどん変わればいい。変わらなくてもいい。好きを貫き続けてもいい。違う方向へと変化していってもいい。大事なのはアバターを通して内面を見ようとすることだと思う。