かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

眠いと病む

 眠いと病むなあ。悲観的に、攻撃的になる。嫌な考えが振り払えない。ポジティブでいたい、やりたいと思っていたことは、全くできない。頭の中で巡っている言葉も否定的。さっきの言葉もつい書いたけど”まったく”なんてことは本当はない。客観的に見ればなにもかもダメなんてことはないのだ。でもそう考えてしまう。ネガティブに思考が偏っていく。

 

 最近自分がやっていること、それはUnityをいじること。VRChatで遊ぶために、売っている部屋やアバターをいじる。でもこれに意味が果たしてあるのか?褒められることとか、構ってもらえることを目的にしてはいけない。そういうのはポジティブな時に自戒していることだ。

 でも、時に自分は間違える。その間違えた時のダメージは、病んでいるときは大きい。健康的な時の自分はああ、またやっちゃったか直そう。これぐらいで済む。でも病んでいるときは過去に遡って批判が始まる。”いつも”こうじゃないかと。これは病んでいるから考えるのをやめよう、そう考えるのだって面倒だ。

 

 TwitterもVRChatもSNS、人との繋がりが大きい。そこに自分の見栄や虚栄心、期待感、夢。いろんなものを勝手に期待して、そして幻滅していく。いつか楽にお金が稼ぎたいなあ、自分が好きなことをのびのびできるようになりたい。病んでいるときはそれが短絡的になるのか、それとも浅はかなのか、あまりいい結果になることができない。

 

 自分のやっていることが果たして本当にタメになるのか?将来に役立つのか?ゲームなんかしてていいのか。自分の軸がブレブレになる。憧れる人はいっぱいいる。憧れる生き方も。

 そういった生き方と比較して、勝手に自分を責め立てる。まるでつまらない投資家から見当違いの批判や短期的な利益を求めるように強く言われるようなものだ。効率的な人生は幸せなのかはわからない。

 

 いつも正しいと言われていることが長期的に間違いの場合だってある。そういうとき、世間一般の正しいことは自分を助けてくれないし、責任なんかとってはくれない。補償なんかない。

 

 でも疲れている時には、何かにすがりたい、成功していたいのだ。自分を安心させてあげたくて、そしてすがりついて失敗する。大事なのはよく寝ること、着実に一歩進むことだけだ。もう一つ言えるのは、こういう理屈をなんどもいったって、疲れた心にはなんの意味もない。でもって、健康になったらこんな当たり前のことなんか書かなくていい。だからこんな文章には意味なんかなくて、ただの愚痴だ。