かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

アニメISLANDを見て考えたこと。PCゲームにありがちなシナリオによるメタ構造の解決について

 

アニメ ISLAND をNetfilxで一気に全部見た。作業用のつもりだったけれど、キャラデザもかわいいのでついつい集中して見てしまった。もともとは秋葉原のパチンコ店で同名のものがあり、一時期広告を出していたのでずっと気になっていた。たぶん4年くらい。

 

 公式Twitterを漁らせてもらったのだけど、うーん。やっぱりすごい印象の深い広告である。最高に可愛い。もっと早く見ればよかった。

 

しかしISLANDというタイトル、グーグル検索に真っ向勝負するようなタイトルですごい。よくがんばった。ド直球でサブタイトルとかもつけずにすごい。

 

キャラの可愛さ

 言うことがなにもないほどかわいい。すごい。動くんですよ…かわいい。最近はアニメをリアルタイムで見ず、もっぱらNetflixとかの動画配信で一気に見ることが多いのだけど、うん。一気にみてよかった。主人公もヒロインたちもみんなすごい。かっこいいアンドかわいい。

自分は声優さんなどは詳しくないのだけれど、感情こもったいい演技でとてもよかったです。満足でございました。

 

ストーリーの構造について

たぶんネタバレはないように書くけれども、察してしまう可能性が高いので嫌な人はここらへんで見るのをやめてほしい。

 

 

原作がPCゲームだからなのだけれど、ああ、そういえばPCゲーってこんな感じだよなあわかる…というシナリオ展開だった。しかも結構複雑なタイプのディープな物語である。

もともとPCゲームは複数ヒロインであることが宿命付けられていると思う。それは商業的な意味で、ヒロインが多いほうがお客さんの目に止まりやすいから。様々なキャラクターデザインを施し、性格の味付けをして、声優さんを起用して多くの人に興味を持って買ってもらう。

そしてヒロインたちの専用シナリオを設けて、気に入ったヒロインのグッズを買ってもらって、ファンディスクやらCDやらを売る。そういう目論見があると思う。

もちろんヒロイン単体のゲームなどもあるのだが、シナリオの分量が少なくなりがちだ。別に構わないとは思うのだが、投資効果なのか、それともパッケージングとして3-4人ほどヒロインを設けて売らないと厳しいのか。ともあれ複数のパターンがテンプレートとなっていると思う。

 

ただ、そうなるとシナリオ的には結構奇妙なことになるのである。あるヒロインとくっついたら、別なヒロインとは縁がなくなったほうがいい。なぜなら感情移入して、一人のヒロインに集中してもらわないといけないから。まあここらへんはニーズというか、常識というやつか。一人と付き合って、エンディングを見るのがお約束である。

業が深いとなぜか全員付き合うとか大変なことになるわけだが…基本は一人ずつ、個別なエンディングのパターンが非常に多い。

 

ゲーム的にはそれで問題はないわけだが、プレイヤーの体験としては若干のストレスというか感情的な問題を抱えることになる。さっきあのヒロインのエンディングをみて、彼女は幸せになったのだが、別なヒロインのシナリオに行くと彼女の問題は解決されないままになってしまう。なんとなく気持ちの引け目を感じるのが普通だろう。浮気感がある。

これをそのままにしてしまうと、まあ穿った見方をすれば売上の問題になる。ゲーム会社としては全部のヒロインを好きになってもらってグッズを大量に買ってほしい。とすれば、選ばれなかったヒロインを救済したりするのが普通である。

 

もう一つ別な問題もあって、これはゲームという媒体だから非常に仕方ないのだが、エンディングとして終わると今度はまたゲームを最初から開始できるのである。彼らの時間は巻き戻り、違う選択肢として別な時間がまた始まる。これに少しだけ納得感がなくなるのかもしれない。

時間を巻き戻して再生して、セーブアンドロードして。まあ普通っちゃ普通だし、目くじら立てる必要もない。ゲームなんだから。でもゲームとしてやりすぎると、没入感や感動が減ると考えてしまったのかもしれない。手法としてより熱中してもらい、集中してもらったほうが満足度があがり、やはり評判になって売れるわけである。

 

ゲーム的お約束をシナリオで解決する手法

こういったヒロインたちのエンディングを見るためにゲームのセーブリセットを使う、やりなおすという仕様をなんとかゲーム中のシナリオとして盛り込んでしまい、満足度を高めようとするようなものがPCゲームには結構ある。

これは結構闇が深いというか、いつの間にか深まってしまったという感じがする。今、小説家になろうの作品が注目され、アニメ化が大量にされているのに似ている。

異世界転生ものはタイトルでセンセーショナルな設定を打ち出し、現代の知識をどう活かすか今を生きる我々に想像を掻き立てさせて自分ならこうする!みたいな予想などを裏切って楽しませてくれる。

ただ、これがあまりにも行き過ぎて小説家になろうのサイトは蠱毒状態に陥っているという批判もある。ランキング上位にいくために従来の作品をテンプレートのように扱い、それを下敷きにさらに設定を練り込んで裏切って尖ったものが、ランキングに乗り…を繰り返していく。

完全に内輪ネタ、楽屋ネタ、内部の構造をもとにしたネタになっていて、初めて見た人はびっくりして、なぜか普通の小説よりも異様に複雑で深いと感じるだろう。どうしてここまで深く掘り下げる必要があったんだろう?

 

今回みたISLANDもその系譜を感じさせられた。それぞれヒロインがいるわけだが、個別シナリオがあり、エンディングを感じさせるものがいくつかの話であった。それらのヒロインのエンディングを見るとメインヒロイン、真のシナリオが開放されるという仕組み。これらはサブヒロインたちのキーアイテムなどを集めないとたどりつけない。

すなわちきっちりサブヒロインたちを堪能しないとメインにいけないから、プレイヤーのモチベーションになるわけだ。さらに真シナリオにいくと、だいたいはサブヒロインもメインヒロインのサポート役だったり、救われるようにサブサブキャラなどで安全確保される。

さらに、時間のループや並行世界解釈だのがでてくる。PCゲームでヒロインのシナリオを選んで、タイトルに戻って選択するというプレイヤーの普通の動作を、実は主人公のタイムリープだとか並行世界の記憶として扱う…などメタ要素をシナリオに組み込んでいるのである。

これらの構造はプレイヤーのストレス(選ばなかったヒロインも自動で幸せになってほしい)を抑制したり、納得感などを高めるために使われる手法に感じる。これらは単に商売的な意味でもあり、ゲームとしての構造なだけでプレイヤー自身、それぞれが勝手に解決すればいいのだが、製作者サイドがシナリオによって解決できるように、まさかのシナリオを工夫することで達成してきたように思う。

 

しかも、なんというか本当はプレイヤーの戸惑いを減らすためのメタ的救済措置なだけだったはずなのに、そのシナリオの解決に科学的考察などを頑張って裏付けようとしてしまったパターンがたまにある。なんでPCゲームでかわいい女の子が量子力学だとか宇宙の理論がどうたら語りだしてしまうのか…。

 

そうした多元解釈がどうたら、というのは非常に刺激的でオタクの興味を引く。非常に凝った説明で、知識がついて満足してしまう…ように見受けられる。そこからはさらに設定が一部で過激化していったように思う。評判が良ければ売れる、売れるならその道を更に進んでいってしまう。

まあ作家さんがハマってしまい、設定に凝りだしちゃった結果なのかもしれないが。個人的にはゲームなんだから別にメタ的な設定やループなどの考えなどは別に必ずしも必要はないように思う。

でも、SF的な設定やループによって主人公が何億回も頑張って時間かけて真のメインヒロインを助けられました!というシナリオは…まあ感動的になりがちだ。そこまできっちりループ設定が組める人は感動的なシナリオを書くのが同時にうまいだけなのかもしれない。

 

設定が非常にとんでもないなーと感じたのは「なつくもゆるる」。もう量子力学だの宇宙だのが設定としてめっちゃ出てきてそれをメインのネタに据えてしまった異常な作品である(褒め言葉)。

 

また、シナリオライターさんが心底心を痛めているような、自分自身がなぜシナリオを書くのかを自問自答して苦しんでいるようにすら感じる稀有な作品だったのかが「いろとりどりのセカイ」。このシリーズは衝撃だった。

こういった深い方向に進んでしまったPCゲームたちは各ヒロインたちに過去の重大なトラウマだとか問題とかそういうのがたくさんある。メインヒロインもすっごい大変であり、それによって主人公との仲が深まる…そのために苦しみを設定されている。

…となるとそれを書くシナリオライターとは業が深いんじゃなかろうか、としてまさしくそのメタなネタをゲームに埋め込んでしまった作品である。すなわち自分がヒロインたちを勝手に苦労やトラウマを埋め込んでそれを解決して満足させるなんて自分勝手や過ぎないか?と。

この問題は一作目では解決しきれなかった様子で、しかも更なる悩みを深まらせてしまったように感じる。シリーズの続編「いろとりどりのヒカリ」では、せっかくエンディングを迎えたヒロインたちをさらに苦しませて自分はなんと罪深いことか…ともんのすごい苦しみ、自分に罰をあたえようにもどうにもならんという殉教者のごときもがきをそのままシナリオにしてしまったという風に見える。とんでもないな。

 

ともあれ、PCゲームが世の中にたくさんでて、凝ったシナリオが評判を呼び、それに触発された各社のシナリオライターさんたちが技量を上げて凝って凝って…。

異世界転生テンプレのようにループもの、各種ヒロインの個別解決、真ヒロインまでのヒロインたちの救済ならびにループ完結でのグランドエンディング…になってしまってるように思う。

別に苦言を申したいわけじゃなくて、なんだかもう遠くにいってしまったなというか。

もともとの発祥の原点はたぶん商業的な苦しみ(ヒロイン乱立)、ゲームとしての仕組み(セーブ・ロードのやりなおし)をなんとか製作者側でシナリオ的に組み込んで解決するというところだと思う。

そういった凝りすぎてしまい、一般化してしまったようなPCゲームをアニメ化すると普段見てるアニメとはあまりにも遠く、複雑で若干の無理感があるなあと思ったのだった。というかPC原作もののアニメ化の難易度がめちゃめちゃ高いのもここに理由があると思う。

すなわちPC原作のゲームシナリオは、PCゲームの構造や商業的な問題を解決するようなものを含んでいるわけで、アニメとはまったく性質が異なる。だからそこをうまく汲み取ってアニメオリジナルとして統合しようにも、どこかで削除や追加、合成などが発生して大変苦労するわけだ。アニメスタッフにも同情する。

 

みたいなことをアニメISLANDを見て、ああ…この感じ懐かしいなあ、こういうシナリオの構造してたよな、としみじみ思いながら見て感想をとてもたくさん書きたくなったのであった。面白かった。ちなみにループものやこういったメタ構造の解決を本質的に含んでいるようなストーリーは好きである。

 

一方で、万人受けはしないだろうし、感情的にはまあ好きなんだけれど、理性的にはそこまで複雑にしなくても…みたいなところもある。そんな苦労せんでも…。

お約束のストーリーによる解決はやっぱり難易度高いし、いかに読者を丸め込めるか?みたいな感じをちょっぴり感じる。SF的なものだったり、未定義、未解釈な最先端科学知識をかじって使ってしまったりとやけに高度化してコスト高くなって大変だなあと思う。

 

…まあここまで読んでもらってわかるだろうが、こういうオタクホイホイで考察がはかどっちゃうようなアニメを作るとこういうめんどくさいオタクが長文で感想をだらだら書いてしまうのである。ありがとうございます。こういうがーっと感想書きたくなる欲求を掻き立てられて自分はとても幸せです。いい作品をありがとうございました。

ひさびさに5000文字という長文を書いてしまったあたり、まだまだオタクとしてやっていけそうな気がする。よかったよかった。深夜1時頃からばーっと2時間続けて書いて今3時である。寝よう。