かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

レースゲーム警察が出てくるとあまり面白くない説

 


Need for speed Heatをずっと前にプレイして途中でやめた。
理由としては警察とカーチェイスをたくさんして安定して倒せるようになったこと。
マシンチューニングがほぼ最高にまで到達したのでやる気をなくした。
まあゲームのアクション性、グラフィックの美しさなどはよかったのだが、ストーリーはいただけない。

 

The Crewもそうなのだが、オープンワールド系レースゲームはどうも警察がでてくると面白くない。そんな気がしてならない。
公道の王道レースVSアンダーグランドな警察沙汰レースを焦点にしがちだ。

 

一方で日本のレースゲームやレース漫画は結構ストーリーが面白い。
思い返すとレーシングラグーンには警察がでてこない。
取締もない。ストーリーにも絡んでこない。
走り屋として自分自身と向き合っていくような、内面を描くストーリーに近い。

 

首都高バトルなんかは全く説明なくただひたすら首都高を走り、バトルを挑み、ボスを倒すまで頑張る。敵といえば敵なのだが、実際のところ別に戦わなくても首都高を走るだけですごく楽しいゲームだ。チューニングの幅も広い。


ある意味で首都高全域のオープンワールドゲームなわけだが、警察はでてこない。
メインはあくまでチューニング。自分の車をただひたすらに早くするために努力するゲームである。

 

漫画の例として湾岸ミッドナイトを挙げると、警察の話はほぼでてこない。
(ちらっとオービスに触れたりするだけ)
自動車とはなにか、プロとはなにか、自分の内面についての話が多い。
敵などない、勝ち負けもない。名誉もない。
ただひたすら走りたい人間たちが夜な夜な集まって走るだけ。
ただただ自分の車と内面に向き合うストーリーである。

 

もちろん違法なチューニングやスピードを出すことを正当化はしていない。
矛盾している、そう作中でも言われる。けど走るのだ、走りたい、もっと早くと求めてしまう愚かさ。その中の真剣に向き合う気持ちを描いている。

 

日本と海外とで気持ちが違うのかはわからないけど、自分は内面を描くレースゲームのほうが好きだ。もっというと下手な敵だとかそういうのをもたせてほしくない。
レースというのはそもそも自分のタイムを更新する喜びとか走る楽しさがほしい。
敵の車が極端な話いなくてもいい。自分の車をあくせくチューニングして、成長させて、コースを覚えて、走り込む。

 

その純粋性がほしい。レースゲームの醍醐味はある意味で自分自身の成長だろう。
そこに敵と戦った、警察と折衷した、世間を平和にしたとかいらないのである。
優勝して賞金ゲットして病気の家族を救うとかそういうお涙頂戴もあってもいいけど、あんまりほしくない。
ただひたすら走りたいという純粋な気持ちを肯定するようなゲームがほしいものだ。

 

現実問題を取り扱ったストーリーは目を引く。対立構造を作ればわかりやすい。
警察を出せばアクションとしても追跡されたり、したりが面白くなる。
それはわかっている。わかっているけれども、純粋に車が好きでレースが好きな人にはちょっと違うと思う。

正直、グランドセフトオートのような手配度のつく激しいアクションから安易に輸入してないだろうか。オープンワールドにありがちな要素なのだけど、どうもレースゲームには実は合わない要素な気がしてならない。