更新の滞り
お仕事が忙しくて精神的にぐだぐだしていた…。自分は重要なものを取り扱うというのが苦手だ。(すべての仕事は重要なものを取り扱っているだろうが…)
いわゆる貴重品管理が不得意。一瞬で記憶をなくし、様々なものを行方不明にする。
大事だということをどうやら脳が記憶できない、もしくは自分の怠慢なのか。とはいえ幼少の頃からさんざん親、教師から厳しく指導されても本人の意志ではどうにもならなかった。
なのでできないことはできない、そういう仕事の仕方をしている。本人に向かない仕事、できない仕事はしないという選択ができる。が、最近はそういった仕事が舞い込んできてしまった。見事に精神がやられている。しょうがないのでなんとかのりきりたい。
哲学の余裕
益体のないことを考えることは好きなのだけど、精神に余裕がないとそういうことをじっくり考えるということもしないのだな、と思った。
ちなみに益体は”やくたい”と読むらしい。えきたいだと思ってたけど…声に出さずによかった。
この益体のない、という単語は好きだ。どこで拾ってきた単語なのかはわからないけど、なんとなくそこそこ古めの小説から拾ってきたんじゃないだろうか。こういうおしゃれ単語が好きだ。
脱線した。なんでこういう自分なりの哲学時間について思いを巡らせたか。
ブログメモとして使っているScrapboxにある研究ノート、哲学ノートがあるから。
難解なことについて自分なりに解釈を書いているのだけど、まあ進まない。
たぶん理解を求めないものについて、理解しようと試みているからだと思う。
だが、その理解を求めないものは果たして本当にそうなのか。
自分の能力が足りていないだけじゃないか。わからないのは自分がアホだからじゃ。
そう思うとついつい理解しようと頑張るのだけど、全然わからないままだ。
恥ずかしい話だと思うけれど、自分は人間が思想するものは人間に理解可能だろうと思っている。 人間が作ったものは人間に理解可能だろうと。
理解に至るまでかかる時間は人それぞれだ。様々なアプローチや途方も無い回り道が必要かもしれない。だが、人間なのだから理解できるはず。そう思っている。自分の根幹となる考え、自信でもあるのだ。
これは自分が頭がいいとかそういう勘違いじゃない。自分がコンピューターというものを”自分なりに”理解したときに生まれた副次的な考えなのだ。
コンピュータの世界は人間が作ったものだ。もっと言えば情報処理の世界は人間の理論上によって生まれた完全な世界である。人間が規定したお約束が支配する世界は、人間に理解可能なのだ…なにいってるんだ?長くなるな…
コンピュータの世界はすべて人間が決めたルールで動いている。だが現実はそうじゃない。素粒子だのなんだの…ランダム要素、不確定要素がすごく多い。
例えば電圧5Vを1、電圧0Vを0として2bit。5V->0V->5Vという動きを101として扱う。
さて、現実をもっともっと細かく見れば5.00021V -> 0.00024V -> 5.10202V…のようになっているだろう。単位時間あたりの変動もあるし、周波数の考慮もある。
だが、情報処理の観点から言えば細かい電圧はどうでもいい。101という表現であればいい。現実のあやふやさから情報、101という抽象的なデータそのものを加工していく。だからランダム性がなく、統一的で、人間に理解できる。だれも5.00021Vがなぜ5Vでないのかは理解できないと思う。そのときそのときで影響するパラメータが違うから。今日は雨の日だったから0.00021V増えていた、なんてこともあるかもしれない。
そうした現実の不安定さは人間が決めたものではない、自然が決めたものだ。わからないものも未だたくさんある。確定することができない。
だが、コンピュータの世界、情報処理の世界はすべて人間が決めたものだ。不確定なものはなにもない。”だからこそ”人間はコンピュータを理解可能なのである。ここでランダム関数だとか機械学習がどうとか持ち出すのは無粋ですよ、と予防線をひとつ。その歴史も議論も長いのでやめておこう。
とまあ同じように人間が作り出した思想、文化等は人間に理解可能だろう。そういうふうに思っている。だから哲学していけばいつか今わからない他の人の生み出したものについてもわかるのではないか、そう思いつつ余裕がないとそんなことも考えられないな…と思うのであった。長いね。
多様な一種類の意見
はてなブックマークやTwitterのバズったツイートの返信欄には様々な意見がぶら下がる。多種多様なコメントに見えるのだけど、実際のところ詭弁が多いと思う。
実際に書かれている内容の本質的な部分からズレたコメントが多い。
重要なところはそこじゃないのに、細部に拘ったり重箱の隅をつついて識者のように振る舞ったりする。こういったものはAIの判定で詭弁であるとして取り除いてほしいものだが、なかなか難しそうだ。
AIの判定で取り除きにくいものは人間にとっても容易ではないということになる。
なのでいつか詭弁について学ぼうと思っているのだが、なかなか手がつけられない。
論理トレーニング101選という本も持っていて、本棚のどこにある気がするのだが未だ見つかっていない。
スルースキル
真のスルースキルとは自分の記憶から忘却することである。そんなことを思った。
例えばTwitterで炎上している話題について、スルーするにはどうすればいいか。
つぶやいている該当アカウントをミュートもしくはブロック。こうすることで二度目を目にしなくて済む。
そして自分はつぶやかない。なにもなかったことにする…。でもそれだけじゃ足りないこともあった。
ついつい現実でログが残らないからと、話してしまうこともある。
だがそれではスルーできたことにはならないのではないか。完全にスルーするというのは忘れることだ。記憶にすら残さなければ、なかったことになる。
忘却する技を覚えたいものだ。
書きたいことを増やすには
先週はブログの更新をしようとして、まったくはかどらなかった。自分なりに原因を考えたが、メモをそういや最近してなかったと気づいた。書きたいと思うこと、内心で考えていることを紙に書いたり、PCにメモしたりしないと駄目なようだ。
忙しくないとき、普段の調子なら脳内にメモとしてある程度残っているのだが、だめなときは思いつかないらしい。なので書きたい内容はメモするに限る。
もしくは書きたいことがなくても自分の内心についてはちょくちょく書いたほうがよさそうだ。
自分にとって書くことは普通のこと、自然といろいろ書きたくなるものなのだがそれが浮かばないというのは異常事態である。というか不調のサインそのものだ。
困ったものだ。