かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

異常と正常

Steamストアの商品紹介の時点でだいぶやばい

Milk inside a bag of milk inside a bag of milk をプレイした。
中身は10分程度で終わる、非常にシンプルなものだが強烈な体験だった。
10分で終わって良かったと思える。これ以上長いと精神ダメージが大きいだろうから。

 

プレイした理由は serial experiments lain に似ているという評価があったから。
少しだけ似ているような気もする別物だったが。

 

近くにある出来事

異常な思考は、ほんの少し日常からずれたところにある。
途方もない彼方ではなく、思ったよりずっと近いだろう。

 

酒に酔って記憶をなくした翌日、冷蔵庫に靴下が入ってたとか。
疲れているときにキーボードで文字が打てなくなる(打ち間違いを繰り返す)とか。

たぶんこういった行動が、常に意図せず、戻らなくなるんだろうと思う。
ほんの些細なことで。例えば…床で転ぶとか、本棚の上の重いものが頭に当たるとか。

 

ちょっとしたことは起こりうる。
明日布団から起きたとき、正しく脳が動作する保証なんてどこにもない。

 

…少し怖い話をしたかもしれない。
だが milk inside... をプレイしたときに思ったのは、ありうる話だろうなということ。

ただゲームらしい誇張したもの、ありえない、架空のもの、ファンタジーと捉えないほうがいいだろうなと思った。ある程度は。

 

いつか自分が同じような目にあったとき、どう感じるかのシミュレーションになる。

 

たしか何年か前に興味深い話があった。

Twitterかなにかで、脳関連の病気になった人が焦って脳に糖分が足りないと思ってドーナツを買った後、ポケットを探ったら同じドーナツのレシートがすでにあったという話。つまり同じ行動を意図せずに2回そのままやったわけだ。

傍目から見ると奇妙な行動だが、本人は至って真剣だし、正常な行動だ。

 

こういう傍目から見ると異常だが、本人にとっては”普通”という感覚を理解しておきたい。いつか自分がそうなる可能性があるから。

そう思うと、異常とする偏見が少し減ると思う。ちょっと歯車がずれただけ。
本人が異常なことをしたいわけではない。おそらく真剣なのだ。
歯車のずれた正常な行動をしようとしている、と見れる。

 

milk inside... については、本人が”異常である”ということは認識している。
しかし正しい行動はとれない。自分が壊れていって治らないことを悟っている。
それでもなんとか正しい行動をしようとあがく。苦しみながら。

 

認識の狂った、傍目から見ると救いのない異常な行動だ。
けど、その内面は真剣であり、絶望であり、それでも努力をしている。

 

救いのない悲しい物語だが、そこから得られるものはあると思う。